【エピソード25】元軍医先生の扁桃腺手術
さてさて、聞いた話を形に残すことを仕事にしている
「有限会社シリトリア」(→★)。
普通の人の、普通だけど、みんなに知ってほしい
エピソードをご紹介していきます。
今回登場するのはアラ還のリエコさん。
幼稚園の時に扁桃腺の手術をした思い出を話してくれました。
今から思えば、その手術は豪快というか乱暴というか…。それでも、おかげで元気になったリエコさんには懐かしい思い出です。
喉の調子が悪くなり、
久しぶりに近所の耳鼻科を訪ねたリエコさん。
鼻からスコープを突っ込まれ、
自分でもモニターを見ながら、先生の説明を聞く。
「あーちょっとこの舌下扁桃が大きくなってますね。
でも悪いものではないので大丈夫。
扁桃腺、取っておられるでしょ?
なくなってしまった扁桃腺の代わりに、
この舌下扁桃っていう器官が、
菌の侵入を防いでくれているんですよ」
●耳鼻科の先生は「元軍医」
リエコさんが扁桃腺を取ったのは、はるかはるか昔、
幼稚園の年長組の時でした。
赤ちゃんの時から、扁桃腺を腫らしては
高熱を出していたリエコさん。
かかりつけの小児科の先生が、
いっそのこと切除してしまいましょう、と、
近所の「ハザマ耳鼻咽喉科」に紹介状を書いてくれたのでした。
北千住大橋眼科 懐かしい昭和の医院のイメージ ©フォト蔵
ハザマさんは、静かな住宅街の中にあって、
個人医院とは思えない立派な建物でした。
ワックスを塗り上げた床には数台の診察台が並び、
その診察台を行ったり来たりしながら、
ハザマ先生が複数の患者さんを次から次へと診ていきます。
症状を聞いては、愛想もないまま、
一人の患者さんの鼻孔を押し広げ診察したら、
使い終わった器具は床にポンッ!
それを看護婦さんが拾っているスキに、
先生は隣の診察台に行き別の患者さんの耳の中を治療して、
またまた器具をポンッ!
なんとも豪快な診察スタイルでした。
ハザマ先生は軍医出身なのよ――ずいぶん後になってから
リエコさんの母親が教えてくれたそうです。
昭和30年代が終わろうとする頃。
「軍医」などという言葉が、
まだリアリティを持って聞こえる時代でした。
・お父さんの膝の上で口を開けると…。
リエコさんの扁桃腺摘出手術は、
幼稚園が夏休みの時期に行われました。
まず、腕に麻酔の注射を打たれ、
その注射の痛さですでに半泣きの娘を、
父親が膝の上に乗せ診察用の椅子に座ります。
そこでおもむろに、なんと目隠しをされてしまったリエコさん。さあ口を開けて…。
恐る恐る開けると、なんだかハサミのようなものを突っ込まれ、
その瞬間、喉の奥に激痛が…。
手術はいきなりこんな感じで始まりました。
当然あまりの痛さに大暴れするリエコさんを、
父親と看護婦さんたちが抑え込み、なだめすかし、
何度も何度も口を開かせては、激痛。
そして、そのたび、おそらくは血の混じった唾を吐く。
また口を開く。
寝かされて、でもなく、全身麻酔でもなく
(最初に腕にされた麻酔注射、全然効いてないやん!と
幼いながらリエコさんは思ったそうです)、
〝戦地〟での手術とはこんなものだったのでしょうか。
よく言えばダイナミック、悪くいえばすこぶる乱暴な
数分間の手術が終わり、別のベッドに移されて、
テトラパックのコーヒー牛乳を、
痛みの余韻を味わいながら飲んだら、もう帰宅でした。
テトラパック ©ベルマーク教育助成財団
・懐かしい凄腕のハザマ先生
でも、その日を境に、
リエコさんは扁桃腺炎で高熱を出すことはまずなくなりました。よくがんばったねと、両親がご褒美に買ってくれた、
当時大流行の「歩くお人形」とバドミントンセットで、
残りの夏休みも元気に遊んで過ごすことができました。
ちなみに、今から十数年前、
同じように扁桃腺を腫らしてばかりのリエコさんのお連れ合いが、1週間入院で全身麻酔で扁桃腺の摘出手術をしました。
大人になってからの摘出の方が、それだけ厄介だということですが、
それでも自分の時に比べてなんと大げさな…と
リエコさんは思わず苦笑してしまったとか。
乱暴ながら、一発でリエコさんを扁桃腺の苦しみから解放してくれたハザマ先生。
医療が進化し、技術が洗練され、
おしなべて優しくなった今のお医者さんたちを見るにつけ、
ハザマ先生を妙な懐かしさで思い出すリエコさんでした。
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