50代、男のメガネは近視と乱視とお手元用 ~全肯定ソングを否定したりもする。
全肯定ソングを否定したりもする。
全肯定ソングというジャンルがある。
「大丈夫」「今の君は決して間違っちゃいない」「この先、きっといいことがある」「だから、前を向いて生きていけばいいのさ」
そんな肯定的な言葉をちりばめた歌が何年かに一度はヒットする。ヒットはしなくても話題にはなる。もちろん、話題になるくらいだから、もっと数多くのそんな全肯定ソングが業界では山ほど作られている。
話題になれば聴く機会が増える。ラジオやテレビが取り上げる。最近ならネットで動画が拡散されていく。
ほとんどがミディアムテンポの小気味のいい曲で、人の琴線にうまく触れてくる歌詞を伴っている。というよりも、歌詞が命だったりする。漠然と僕たちが抱えている不安をしっかりと浮き彫りにしたかと思うと、「大丈夫」「わかっているよ」「誰だって、君を不幸にすることはできないんだ」とまるで見てきたかのように、寄り添ってくる。
嗚呼、と思う。嗚呼、俺は間違っちゃいなかったんだ。わかってくれるやつがここにいたんだ。そう思うと、頬を涙が伝う。熱くたぎるほどではないにしても、今日を一生懸命い生きようというくらいの殊勝な気持ちがはっきりと輪郭を持ち始める。
そして、ひとしきり、涙を流してわずかばかりの熱い血潮を感じた後に、再び、嗚呼、と思う。
この全肯定流行歌を聴いているのは僕だけではないのだ、ということに気付いてしまう。昨日、自分のいい加減さは棚に上げて人に散々毒づいたアイツもこの曲を聴いて溜飲を下げているのだ、ということに。
嗚呼、と思わず口にした、自分への慰めが、あっと言う間に、嗚呼、という腹立ちのようなものに変わる。若い頃なら、意味もなく車を走らせ、カーステレオの大音量でかけていたはずの曲だ。大声で何度も何度もヘビーローテーションで聴いていたはずの曲だ。
歳を重ねると言うことは、そんな曲を聴けなくなるということなのかもしれない。そして、さっきまで涙を流さんばかりだったのに、いまではすっかり醒めた振りをして「世の中そう単純じゃないんだよ」とつぶやいて、iPhoneのプレイリストからその曲を外すのである。もちろん、パソコン本体のiTunesにはちゃんと残したままで。
だって、いつその曲が必要なほどに落ち込むことになるとも限らないから。
植松眞人(うえまつまさと)
1962年生まれ。A型さそり座。
兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。
現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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