50代、男のメガネは近視と乱視とお手元用~ 恐ろしい年頃
恐ろしい年頃
宮本輝の短編集『胸の香り』が好きでよく読み返す。
最初の作品が『舟に浮かぶ』なのだが、その中で主人公が旅館で愛人がやってくるのを待ちながら漁師でもある宿の主人と、海に舟を出して月を眺めている場面が出てくる。
その時、宿の主人が、これからやってくる女の人の歳はいくつだ、と聞く。すると、主人公は
「三十六歳」だと答える。それを聞いた宿の主人はこういう、「そらまた恐ろしい年頃よなァし」と。
なんだろうか。いままでことさら女性の三十六歳という年齢を意識したわけでもないのに、なんとなく宿の主人と一緒になって「それは恐ろしい年頃だなあ」と思ってしまうのは。おそらく、厳密に三十六という数字ではないのだろうと思う。
そう言えば、斉藤和義の『アゲハ』という歌の中である女性の二十一歳から三十二歳までを
歌っている。若いからこその悩みというところから歌詞は始まって、なんとなく閉塞感を漂わせたところで、終わる。その年齢の設定が斉藤和義の場合は三十二歳なのかもしれない。
だとすると、閉塞感を感じ始める三十二歳と、恐ろしさを感じさせる三十六歳という年齢の狭間がとても面白い。そして、それは女性だけではなく、男も同じなんだろうと思う。なにしろ、そんなことを思うのは、自分もそう思っているからだ。人は自分の中にないものを受け取ることなんてできない。
もちろん、男は「女の子となんてわからんな」と言うし、女は「男のことなんてわからん」と言うのだから、互いのことはわからないのだろう。個人的には女がわからないと思ったことはなくて、「他人というのはわからない」という感覚しかないのだけれど。
僕自身で言えば、確かに三十代の変化はとても大きかったなあと思う。二十代はなんとなく十代の価値観そのままに走ればいいのだけれど、自分で事務所を立ち上げて、自分より若い世代と仕事をするようになると、そうもいかなくなってくる。こんなにいい加減な僕でも自分の行動と発言に矛盾を感じ、そいつをごまかすことができなくなってくる。
諦めているくせに夢を語り、自分の都合で人を励ましているうちに、だんだんと顔が歪んでくる。そして、そこに体力の衰えが具体的な変化として見えてくる。ふと、四面楚歌とか八方塞がりという言葉が浮かぶ瞬間が生まれる。
ただ、自分が五十になって振り返った時、あの時のどうしようもない感覚がなくならずに、見事に残っていることに驚いてしまう。ただ、そのことを周囲にわからないようにごまかすことだけうまくなったのだろう。全然、成熟していないのに、それらしく見せるふりばかりうまくなった。
というわけで、今年五十一歳になるおっさんは、「そらまた恐ろしい年頃よなァし」と思われる男女を相手に、なにか新しいことを始めようと、決意するのであった。だって、リスクのありそうなところに突っ込んで行く方が、確実に面白そうだから。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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あ き ら
こんにちは。宮本輝さんを何処から読んでいないのか、その短編集は読んだのかどうかも思い出せません。
植松さんの記事のおきもちをきちんと受け取れているのかどうかおぼつかないのですが、ワタシも今年51ですしそれなりには受け取れている気もしています。ちょうど昨日、久しぶりに会った同級生の男子(シングル)の恋人が、30代半ばであるというはなしを聞かされました。その恋人は家庭があるのだけれど、それを解消するつもりはないらしいということや、もろもろ・・。
「話をきくにあなたは彼女にかなり惚れているらしいから、やたら切なくなっておきなさいよ」と言うしかなかったわけですが、その30代半ばの彼女のきもちも50のおばさんとしてはそれなり察することもできるわけで。なるほど「恐ろしい年頃」というわけですね。若さのきらめきが現実としてトーンダウンしていくものだと初めて気づく年頃かもしれません。
同性でも人のことは分からないし変えることもできないと思いますが、男女もまた確実に別の生き物であるらしいと50にして思うことです。だからこそ、男の人のことも愛おしいですけどね。
uematsu Post author
あきらさん、こんにちは。
若さのきらめきがトーンダウンする年頃ではありますね。たしかに。
50歳と言う年齢にはどんな言葉が合うんでしょうね。
「恐ろしい年頃」も過ぎてしまったし、
かといって、「かわいい」でも「かわいそう」でもないし。
案外、外と内の両方に向かって、「愛おしい」という感情があふれる、
そんな年齢なのかもしれませんね。