天ぷらそば一丁、そこのボク。
みなさん、あけましておめでとうございます。
お正月ですね。
いかがお過ごしでしょうか。
本来なら、「道の仕事。第4回」をお届けする回ですが、新年1回目ということもあり、
今回はお正月バージョンと言うことで、年末年始の思い出を。
高校三年生の12月。その年の夏に、うちの父親はなにを血迷ったか、兵庫県の伊丹に家があるのに、神戸に家を買った。家とか家族に執着しがちなところのある人だったが、「新しい家を買う」という決意のようなものは強く、「家を買おうと思っているんだが」という相談は高校生だった僕には「家を買うぞ」という宣言に等しかった。父は家を購入する準備を進め、神戸の山の手に分譲住宅が完成すると、必要最小限の家具などを揃えて、新しい家で生活できる環境を整えた。
ただし、当時、僕はもともと住んでいた伊丹の家からすぐ学校に通っていたので、高校は伊丹の家から通い、卒業したら神戸の家に移る、という話になっていたように思う。思うというのは、なんだかすべてに現実感なく毎日暮らしていた僕は、「そうはいっても、神戸の家には住まないかも」と漠然と思っていたのである。(結局、僕はその家で生活することは一度もなかったのだけれど)
というわけで、高校三年生の頃、我が家には家が二軒あったのである。そして、僕は神戸のその家になんの愛着もなく、さらに一人になりたい盛りの高校生だったこともあり、「年末年始は新しい家で家族水入らず!」と決意に燃える父を「高校卒業を控えて、友だちと初詣にいくという約束をしているのだ。これだけはなんとしても行きたい。男と男の約束をしたのだ」とかなんとか。今となってはあまり詳細を思い出せないような嘘をついて、大晦日を一人で伊丹の家ですごすことに成功したのである。
しかし、友だちとの約束なんてはなからない。ただ、ぼんやりと一人で大晦日を過ごすという、ひとり暮らし疑似体験を夢みていただけなのである。
そんな僕がただ一つ、ひとりで大晦日を過ごすならやってみたかったことがある。近所のそば屋で年越しそばを食べることであった。いつも、うどんを食べている関西でも、なぜか年越しはそばと決まっていた。しかし、おそらく関東圏ほど強いこだわりがあるわけでもなく、ただ縁起物として、そばを食べておけばいいだろう、くらいの感覚だったのではないだろうか。
そんな中、僕は「大人は年越しそばにこだわるものだ」という思い込みがあった。そこで、紅白歌合戦が始まった頃合いに、千円札を握りしめて、自宅から歩いて3分のそば屋へ行ったのである。当時、高校生が夜遅くにひとり外食するなどということは珍しく、しかも大晦日に出歩く高校生など皆無だった。
僕はできる限り、大人に見られなければ、と父親が仕事で着ていたジャケットを拝借した。阪急電車に勤めていた父親が会社から支給されたグレーのジャケットというか背広の上着である。高校の白いワイシャツ(関西ではカッターシャツという)を着て、上から、ぶかぶかのグレーの背広を羽織って、僕はそば屋へと向かった。
暖簾をくぐると、近所への出前のそば作りで慌てふためているそば屋主人が「いらっしゃいませ」と声をあげる。しかし、そこに立っていたのは、なぜかぶかぶかの背広を着た、近所の高校生。僕自身は、そのそば屋に行ったことがなかったので、初対面のつもりだったが、いま思えば、近所に住んでいたのだから、知らないわけがない。「一人なん?」と親戚のおばさんに聞かれるように言われて、「はい、ひ、ひ、ひとりです」とつっかえつつ答えたのであった。
客は僕一人。出前のそば作りでてんやわんやになっていたのだが、客は店の中に誰もいなかった。「テーブルにどうぞ」と言われたのだが、大人はカウンターで食べるのだ、とこれまた思い込んでいた僕は、「いえ、カウンターでけっこうです」とカウンターに座る。見上げると、紅白歌合戦をやっていたので、そばにあったスポーツ新聞を広げながら、時折テレビを見上げる、という「いかにもおっさん」を演じながら、大人を気取ってみたのである。
もちろん、注文は当時の僕にとっての最高の贅沢である天ぷらそば。僕はそば屋のおじさんが、出前のラストスパートをかけて、そばを仕上げ、オバサンがそれをどんどん岡持に入れて、近所に送り届ける、という動線のど真ん中であるカウンターで、できる限りゆったりと天ぷらそばを待つ大人のふりをした高校生。今考えると、いい迷惑だ。
しかし、僕は大人びた僕作戦が失敗しているなどとはつゆ知らず、広げたスポーツ新聞のエロ記事に狼狽えていたその瞬間に、そば屋のおじさんがカウンターの向こうから、おばさんに声をかけたのである。
「天ぷらそば一丁!そこの僕のぶんやで!」
おばんは「あいよ!」と応えて、僕の目の前に、ドン!と天ぷらそばを置く。僕は「ボク」と呼ばれたことで、大人びた僕作戦が失敗してたことを思い知らされて呆然とする。ちょうど、和田アキ子が歌い始めた。
僕はなんだか、恥ずかしくなり、もうテレビも見上げず、新聞にも目もくれず、ただ黙々と天ぷらそばをすすった。早く食べて、早く帰ってしまいたかった。
しかし、少し出前の手がすいてきたオバサンは、同じカウンターの隅っこに座って、僕に話しかけ始めた。「お父さんとお母さんは、今日はお出かけ?」「この前、弟くんがえらい慌てて、走ってたわ」「来年、この向こうにあった空き地にマンションが建つねんてなあ」…。
オバサンの話のひとつひとつが、僕のことをきちんと知っているご近所さんとしてのものだった。そんな問いかけに、僕はそばを黙々とすすりつつ、「はい」「そうですね」「はい」「いえ、知りません」などと答え、人生最速でそばを食べ終わると、お金を払って店を出たのであった。
毎年、大晦日にそばを食べると、僕はあの高校三年生の大晦日を思い出してしまうのである。思い出して、心の中で赤面し、一人半ば強引に新しい家を購入した父の気持ちを思ってみたりするのである。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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nao
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。
高校3年生のuematsuくんを、おばさんの気持ちで想像しました(笑)
きっと大人達は子どもが思うほど変だとも思わず
ほほえましく見守っていたのでしょうが
高校生くらいの頃って自意識過剰で可笑しいw
大晦日というのがまた毎年思い返せていいですね!
uematsu Post author
naoさん
明けましておめでとうございます。
そうなんですよね。きっと、相手は何にも気にしていないんですよね。
でも、中学、高校の頃の男子ってば、ホントに自意識過剰で(笑)。
いま思い出しても冷や汗が出ます(笑)
okosama
あけましておめでとうございます。
この年末年始、ちょうど阪急神戸線を行ったり来たりしていたところで、
グレーの上着がツボにはまりました(笑)。何に憧れていらっしゃったのか(笑)。
「道の仕事」も楽しみにしています。
アメちゃん
あけましておめでとうございます!
「そこの僕のぶんやで!」と言われた時点で
どう見られてたか一目瞭然ですよね^^;。
私も若い頃、会社でくさくさすることがあって
仕事帰りに、ひとりでジャズBarへ行ったことがあります(←お酒も飲めないのに)。
カジュアルで小さなBarだったのですが
一人でコーラを飲む私は、もう〜、とーーっても居づらくて
腕時計を何度も見て、人待ち顔を演じるのに精一杯でした。
お金を払うとき、オーナーに
「お相手が来たらお伝えしましょうか?」と言われましたが
恥ずかしくて逃げるようにお店をでましたね。。。
いつも思い出しては、赤面です。
uematsu Post author
okosamaさん
明けましておめでとうございます。
うちの親父が阪急電車につとめていて、
グレーの上着を着ていたので、もう大人と言えば、
グレーの上着だと思い込んでいたんだと思います(笑)。
ほんと、なにに憧れていたんだか……。
uematsu Post author
アメちゃんさん
「お相手が来たらお伝えしましょうか?」
というオーナーが素敵です。
もう、そんなときには
「もし、来たら、『いつか王子様が』をリクエストしていたよ、と伝えてください」
というのが正解です。
いや、正解かどうか知らんけど(笑)。