僕の趣味はなんだろう。
いい趣味をもちなさい、と子供のころによく言われた。いい趣味は自分を成長させ、いい友だちを作ってくれる。そして何よりも、人生にゆとりをもたらせてくれるのだ、という意味の文章を読んだこともある。
五十代になって振り返って見ると、結局自分は趣味らしい趣味をもってこなかった。思いついたようにマラソン大会に出ることはあるが、走ることが趣味かと言われると違う気がする。何年か前にチェロを習っていたことがあるが、チェロを趣味だという言うのはおこがましい。人生に数度しか山に入っていないのに、「トレッキングをやるんです」と言い切る自信もない。
中学生の頃、たぶん、高校入試に備えて、先生が模擬面接をしてくれた。その時、先生がいくつめかの質問で「趣味はなんですか?」と聞いたのだった。そのとき僕は「趣味は新聞の死亡欄を見ることです」と答えた。
「死亡欄ですか?」
「はい、死亡欄です」
「死亡欄を読んで楽しいですか?」
「いえ、怖いです」
「怖いのに読むのですか?」
「はい。毎日必ず読みます」
「なぜですか」
「死ぬのが怖いので、歳をとった人からちゃんと順番に死んでいると安心します」
僕がそういうと、面接官に扮した先生は
「でも、たまに若い人が亡くなることもありますよね」
と、苦笑しながら聞いてくれた。
「はい。先日もまだ若い歌手が亡くなりました。35歳くらいでした」
「若い人の死亡記事を見ると、あなたはどう感じるのですか」
「とても怖くなって焦ります」
「焦る?」
「はい、その人は35歳で亡くなったけれど、歌手としてヒット曲を出しています」
「なるほど」
「自分は35歳迄にそんなことができるのだろうか、と焦ります」
「みんながみんな世間に注目されなくてもいいのではないですか」
「そうですが、なにかを目指して頑張らなくては、どう頑張っていいのかわかりません」
「どういう意味でしょう」
「会社員になるなら、社長を目指す。歌手になるならヒットを目指すのが普通だと思います」
「なるほど。でも、会社員で終わる人もいますよね」
「頑張っても社長になれないなら、それでいいんです」
「うん、うん」
「だけど、一応はめざさなくては、と思うと、ついつい死亡欄を見てしまいます」
「死亡欄を見てどうするんですか」
「自分はこの人と同じだけのことを、この人が死んだ年齢までにできるのかと考えます」
「う〜ん」
と、先生はそこで長いため息をついて、
「うえまつくん、死亡欄のことは言わない方がいいかもしれないなあ」
と笑ったのだった。
僕はその日から、「じゃあ、僕の趣味ってなんだろう」といまでも毎日新聞の死亡欄を見ながら考えているのである。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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金星
初めて読んだんですが
とても面白くて、声を出して笑ってしまいました
死亡欄の面白さに
そんなに若くして目覚めていたなんて!
私だったら、間違いなく
合格 にしますよ!
uematsu Post author
金星さん
はじめまして。
死亡欄も、昔は死因を「肺癌」「胃癌」なんて書いてあったのですが、
最近ではほとんどが「心不全」などになっています。
そんなこと言ったら、どんな人間も死ぬときは心不全じゃないか、と思います。
死亡欄にも歴史あり、ですね。
はしーば
電車の中で読んでしまって、笑いを堪えて悶絶。
タイムマシンに乗って、植松少年をコッソリ観察しに行きたいです。
死亡欄って死因が具体的に書かれているんですね!
半世紀生きてきて初めて知りました。
uematsu Post author
はしーばさん
以前はもっと端的に書かれていた気がしますが、最近は心不全とか、もとの病気がわからないものが多いですね。
それにしても、死亡欄を読むと、「ああ、若いのに事故で亡くなったのか。悔しいだろうなあ」とか、「大往生だなあ」とか、「同い年だ!でも、ここまでの実績を僕は残してないぞ!」とか、いろいろ勝手に想像しては人の死に一喜一憂します。