静かに行く人は遠くへ行く。
静謐という言葉に対する憧れが尋常ではない。人と向き合って、黙っていられるなら黙っていたい。必要以上にぺらぺらと話をしてしまい、あとで自己嫌悪に陥るなんて日常茶飯事。静かにしていられるなら、それに越したことがないという気持ちは、やっぱり以前ここにも書いたことがある、高倉健という存在のせいだろうか。
だいたい、怒る時だって、静かに怒っている人の方が怖い。声を荒げて怒ったところで、ビビって逃げるのは子どもみたいな奴らだけだ。静かに淡々と怒る方がいいに決まっている。
以前、「人を怒るときは静かに怒りなさい」と言ってくれた人がいる。どれだけ相手に非があっても、大きな声で怒ってしまうと、防衛本能が働いて、相手には怒られたという事実しか残らない。理路整然と怒ったところで、「そんな言い方することないだろう」という逆ギレ状態になってしまうのだ、と。
それは、そうだ。と思うのだが、そんなふうに自分をコントロールするのは難しい。だから、約束を破られたりしても、最初の一度や二度はぐっと我慢してしまう。声を荒げない、というのではなく、声を出さない、という対応をしてしまうのだ。しかし、それが二度、三度と重なると、たまっていた分も一緒に、声が大きくなってしまう。
しかし、どうして静かに怒るほうがいいのだろう。というか、相手に深く届くのだろうか。自分なりに考えると、静かにという部分に、本気が見え隠れするからではないろうか。
僕が大好きな佐々木昭一郎さんが演出したテレビドラマ「四季ユートピアノ」の中で、主人公のヴァイオリンケースに「静かに行く人は遠くまで行く」という言葉が刻まれている、というシーンがあった。「行ってきます」「お世話になりました」と泣きながら手を振って去っていく人よりも、確かにある日、不意にいなくなってしまう人のほうが誰も知らない遠くへ行ってしまうというイメージがある。
そう考えると声を荒げた分だけ、こちらが子どもなのだ、ということになるのかもしれない。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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