『トニー滝谷』を観て、読む。
村上春樹の短編小説に『トニー滝谷』がある。短編集『レキシントンの幽霊』に所蔵されていて、この短編集はかなり売れたらしいので読んだことがあるという人も多いだろう。
僕は小説よりも先に、市川準監督の『トニー滝谷』を観た。もう十年以上も前、たまたま仕事で立ち寄った名古屋で、待ち合わせまでに思いの外時間ができてしまい、ふらりと立ち寄ったミニシアターにかかっていた作品だ。
「トニー滝谷の本当の名前は本当にトニー滝谷だった」という語りから始まる静かな不思議な映画だった。
トニー滝谷は、ジャズマンの父親がつけた名前だった。親交のあった進駐軍のアメリカ人に「これからはアメリカ風の名前もいいんじゃないか。僕のファーストネームを息子につければいい」と勧められ、「悪くない」と父親はトニーと名付けた。
トニー滝谷は、孤独だが孤独を感じることのない男だった。彼は成長し、イラストレーターになり、緻密でメカニックで詳細なタッチが評判となり、売れっ子となった。そんな彼が孤独を感じたのは、愛する妻を得たからだ。
妻はトニー滝谷と結婚してから、服を買いまくるようになった。それは、まさに依存症のように服を買うのだった。やがて、広い屋敷の中の広い部屋をひとつ、衣服のための部屋にしなければならなくなるほどだった。
トニーの妻は、事故で亡くなる。亡くなった後の喪失感を埋めることができないトニーは、求人広告を出す。妻と同じ背格好の女性を採用し、妻が残した衣服を着て、仕事の手伝いをしてもらおうとしたのだ。
よく飲み込めない求人だったが、条件が良かったので、人がたくさん集まり、一人の女性が採用された。その女は、衣装部屋に入って妻の衣装を確かめてくれ、と言われ、衣装部屋に入る。そして、たくさんの衣装を眺め、触れ、撫でているうちに、声をあげて泣き出すのだった。
話は続くのだが、この映画の中盤に訪れるこの場面は、この映画のピークであり、原作小説のピークでもある。
この場面を初めて見た瞬間に、僕にとってこの映画は特別な存在になった。
と、ここまで書いてきて、僕は立ち止まっているのだ。なぜ、僕はここまで『トニー滝谷』について書いてきたのか、わからなくなったから…。いや、本当に。
『トニー滝谷』について書こうと思ったのは確かだが、なぜ、話の筋を書いたのだろう。僕は今まで映画について書くことはあっても、あまり筋を書くことはなかったはずだ。それなのに、今日は何か憑かれたように『トニー滝谷』を出だしから語り始めてしまった。
いや、そうか。僕はおそらく、この映画のピークとして、女が衣装部屋で慟哭するシーンを覚えていたのだけれど、きっと、西島秀俊が語る「トニー滝谷の本当の名前はトニー滝谷だった」という出だしの一言にやられていたのかもしれない。
だからこそ、この部分を語り出すと、映画の場面が流れるようにわき上がってきて語り始めてしまったのかもしれない。
だとすると、この映画を作った市川準が「文芸映画ではなく、文学映画」と語っていた狙い通りにこの映画は完成しているのではないかと思う。小説を色濃く反映はしていても、決して小説に頼っているわけではない。文字に書かれた小説としての力と、映像としての力が互いに影響し合いながら、不思議な魅力を発揮する映画となっているのだ。
映画は予算の都合もあり、すべてが広大な空き地に作られたオープンセットで撮影されている。屋敷の中のシーンも、仕事場のシーンもすべて、屋根も壁もないセットで撮られている。そこには風が吹き込み、室内のシーンにも関わらず、髪が揺れ、スカートの裾が舞うのである。
そんなことはあり得ない。しかし、それはあるかもしれない、と思わせる確かな演出と演技が、そんなことはあり得ないと思わせる吹き抜ける風と、時に一緒に舞いながら、時に、互いを退けあいながら、『トニー滝谷』という七十分ほどしかない短い映画に、永遠の命を吹き込んでいるのだ。
他にも好きな映画はたくさんあるし、他にもいいと思う映画はたくさんある。でも、僕がいままでにいちばんたくさんの回数を観たのは、この『トニー滝谷』なのだ。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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