かつてあったこと。
世の中なんて後悔でできているんじゃないかと思うことがある。「たられば」の話をしても無駄だよ、と言われ、「もしも」の話をしてなんの意味がある、と自分も人に言う。そんなことを言うのは、誰の心にも後悔や迷いがあるからだ、ということもちゃんとわかった上で。
そんなことを考えると人って面白な、と思う。考えても無駄なことをうじうじと考えて、やがて「そんなこと考えていても仕方がない」と自分でけりをつけていく。そして、けりをつけられた人が、別の人に「そんなことを考えても仕方ないよ」と語りかける。
そんなふうにつながっていくのか、とずっとわかっていたはずのことにある日突然気付いたりする。それは、なんていうか、毎日毎日ごはんを食べているのに、にぎりめしを食いながら「米ってうまいな」と独りごちるときのあの感じに似ているのかもしれない。
昨日、夜の銀座を歩いていた。少し長めの打ち合わせをした相手は、十年ほど前に一生懸命に一緒に仕事をした取引先の若者だった。その若者が中堅どころになっていた。その取引先の別の部署にいた元若者とは、ある日突然仕事が立ち消え、それっきりになっていた。その途切れ方は、こちらから「何かあった?」と気軽には聞けないような不自然さがあった。
彼がいるとは思わないで、取引先と仕事の話を進め、促されるままに人をたどっていくと、彼がいた。お互いに驚いたが、不思議と十年前と同じように話をすることができた。
ただ、なぜ十年前に突然仕事が立ち消えたのか、という疑問と気持ち悪さは残っていたので、昨日、仕事の打ち合わせをする前に聞いてみた。というよりも、最初からその疑問と気持ち悪さが消えなければ、この仕事には手をつけない方がいいとまで考えていた。
疑問と気持ち悪さは一瞬にして解消された。僕が想像していた通りの内容であり、元若者も会社や上司の思惑で悪気なく翻弄されていたことがわかったからだ。そして、何よりも本人が当時のことにわだかまりを感じていたことで、僕たちは互いに安心し、話せて良かったとうなずき合うことができた。
すみませんでした。きちんと話しかけてくださって、ありがとうございます、と言われ、元若者の前で、今ではすっかり涙もろい年輩者はかろうじて笑顔を保ちながら、僕も話せて良かった、と答えた。
人って面白いなあ、と、打ち合わせに向かうときよりは小降りになった雨の中で僕は思うのだった。雨に濡れながら、この仕事がうまくいけばいいな、と思い、同時に、こんなふうに情緒に流されるのは僕の悪い癖だと思い直す。そして、再び、そうは思っても人間そうそう変われるものでもないんだし、気持ちのいいときにはその気持ちの良さに浸っていようと決めるのだった。
ああ、人は面白い。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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