歳をとったなあと思うとき。
同じ年頃の、つまり五十代半ばの同年代のオッサンばかりが集まったときに、どんなときに「歳をとったなあ」と思うか、という話になった。
まあ、なんとなく『さんま御殿』みたいなお題ではあるけれど、それぞれに真剣に考えて答えを出し合った。
その時の僕の答えは「集中力がなくなった」。そう言うと、みんながそうだそうだと同意する。しかし、別の誰かが「確かに集中力はなくなったなあ。けどまあ、執着心がなくなったということも言えるね」と返したのである。集中力と執着心を並べて語っていいものかちょいと疑問だけども、なんとなく納得できる話ではある。
すると、別の誰かが「スマホの画面の反応が悪くなった」と言い出した。これは僕もなんとなく思っていたので、「やっぱりあれかね、指先が湿度がなくなって反応が悪くなのかもしれないね」と言ってみた。みんな、そうだそうだとうなづいている。うなづきながら「でもまあ、あんまりスマホを見続けるのもよくないから、反応がにぶくなって見るのが嫌になるくらいがちょうどいいんじゃないの」と言う。かなり強引だけど、それもそうだと思う。
というふうに、そこからは誰かが「歳を取ったなあ」と思うデメリットをあげると、別の誰かがそれをメリットと捉えたら、という返しをするようになった。
「寝ているときに尿意で目が覚める」
↓
「寝過ごさずに早めに起きられる」
「なんとなく気が短くなってすぐに腹が立つ」
↓
「我慢は良くない。言いたいことが言えるようになった」
「涙もろくなっていけない」
↓
「若い女の子から、優しい人だと思われる」
などなど、もう都合のいいように解釈した話のオンパレードなんだけれども、それがなんだかとても人間としての余裕が出てきたようで面白い。
だって、体力が劣ってきたのは確かだし、無理ができないのも確かなんだもの。だとしたら、それはそれで受け入れるという気持ちにならないと話が始まらない。だけど、自分が劣ってきたぞ、ということを受け入れるのはなかなかに気持ちの整理が付かないから、それなりに理由をつけてよしとする。なんか、その段取りが人間らしくていいじゃないですか。
こんな話をしていると、自分たちが爺様に近づいていくようだけども、みんなそれなりに脂ぎった顔をしてたり、まだまだ下心のありそうな顔をしているのである。
ある日突然、急に枯れてしまうわけじゃなし、じわじわ枯れていく自分を楽しめるようになれればいいんだけども、なかなかそうはいかないんだろうなあと、そんなことを思う、春の日のオッサンたちなのである。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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