新宿のコーヒーショップで、小さな嘘を聞く。
いつだったか、新宿に用事があり、歩き疲れた僕はコーヒーショップに入った。ルノアールだったかなんだったか、店内は広かったのだが、それなりに混んでいて、両隣を人に挟まれた二人席に通された。
右隣は黙々とパソコンのキーを叩くおじさんで、画面を見るとエクセルの書類が開かれている。左隣は手帳を見ながら電話をかけ続けるおばさんで、その電話は終わる気配がない。
これはまた落ち着かない席に案内されたものだと、最初から諦めムードで僕はアイスコーヒーを頼んだ。冬場だったはずだが、店内が暖かいのと、手早くアイスコーヒーを飲んでとっとと出て行こうと思ったのだった。
スマホの画面を眺めて、メールをチェックして、予定表を確かめているうちにアイスコーヒーはやってきて、僕はそれをあっと言うまに飲み干してしまう。
その間も、右側からはカチカチというキーボードの音。左側からはおばさんの電話の声が響いている。滞在時間、わずか10分ほどで席を立とうとしたその時、隣のおばさんが言ったのだ。
「いま?いま赤坂なのよ」
いや、違う。ここは新宿だ。おばさん、間違ってるよ。と思ったのだが、おばさんはこう続けたのだった。
「そうなの。新宿にはこのあと寄るんだけど、その時間にはあなたもういないでしょ?」
うん?ということは、いま電話をしている相手と会いたくなくて嘘を言っているわけだね、と私は思う。
「あなた、いま新宿のどこにいるの?西武線の新宿駅の近くなの」
おばさん、やばいよ。この店のすぐ近くにいるよ。
「で、これからどちらへ行かれるの?」
おばさん、電話相手がどこに行くか聞いて、鉢合わせしないように用心しているんだな。
「はい、じゃあ。そういうことで。お元気で」
とても上品に電話を切ったおばさんは、残っていたコーヒーを飲み干して、席を立った。僕の座っていた席からは見えないのだが、きっとおばさんは電話で聞き出した電話相手の居場所やルートを絶妙に外す方向に歩いて行ったのだろう。
そして、おばさんがそこまでして鉢合わせしたくない相手とはどんな相手だろうと想像してみた。もちろん、僕にもなるべくなら会いたくない相手はいる。いるけれど、相手を避けて避けて歩くほどに、その相手と鉢合わせしてしまう気がして怖い。おばさんと同じシチュエーションで電話をしていたとしたら、途中で怖じけずいて、相手が何も言っていないのに、「ごめんなさい。いま本当は新宿にいるんです。しかも、西部新宿線の新宿駅からすぐ近くのルノアールにいます」と勝手に白状してしてしまったに違いない。
この間、うちの事務所のデザイナーのヤブウチさんと話していて、「どうせばれるかもしれない嘘を吐く人ってどういう人なんだろう」という話題になったことを思い出した。その時の結論は「子どもの頃に、嘘を吐いたとき、徹底的に怒られなかった人じゃないだろうか?」だった。
僕は思うのだけれど、子どもの頃、いろんなことで親や近所の人に怒られた覚えがあるのだけれど、いたずらや口答えはそれほどでもなかった気がする。いちばん怒られたのは、嘘を吐くことだった。
うちの場合は嘘を吐くと、どんな小さな嘘でも必ず見破られ、最後に平手でぶたれた。ひどいときには足蹴にされたりもした。いまはそこまでされるのだろうか。でも、そうされたおかげで、どうせ嘘はばれる、という気持ちが強く心の中に残っているのだと思う。
三つ子の魂百までというけれど、恐ろしいもんだ。子どもの頃、嘘を吐いたことであれだけ怒られた、という気持ちがあるだけで、いまだに嘘を吐くことができない。いやまあ、小さな嘘は吐くかもしれないけどさ。
さて、あのおばさん、子どもの頃、嘘を吐いて怒られることなんて、なかったんだろうか。というか、あのおばさんが吐いた位の嘘はたいしたもんじゃないのだろうか。僕が「いやまあ、小さな嘘は」という程度のもんだったんだろうか。それは人それぞれだろうから、判断は難しいけれど、もし、僕があのおばさんの知り合いだったら、あんな小さな嘘もけっこうショックだったかもしれないなとは思う。
というわけで、赤の他人の小さな嘘にも、ほんのわずかに揺れ動く私の心、というお話でした。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
sasa
のっけから重い話ですみませんが、「嘘」が引き金になって離婚します。
離婚自体は長年の色々なものの積み重ねの結果ですが、話し合いの中で許せなかったのが
二重、三重につかれていた嘘、そして長年に渡って空気を吸うようにつかれ続けてきた嘘です。
嘘をつかれていたことが何よりもショックだった、少なくとも私は今まで嘘はなかったと言うと、「嘘をつかなくてもすむ人間はいいよな」と言われました。
嘘をつき続ける人は、子供のころに嘘をついて徹底的に怒られなかった人、というのは当たっているのではないかと思います。人を幸せにするような「嘘」もあるかもしれない。でも、喫茶店にいた方も、主人も、自分が同じように嘘をつかれていたことがわかったらどうなんだろう、と今回の記事を読んで思ってしまいました。
ジャスミン
以前勤めていた お店の店主(30代男)が嘘つきでしたね。ちなみに店主の奥様が
彼の姉が「ばれる嘘を平気でつく」と愚痴ってました。
店主の生い立ちを色々聞いたところによると
父親が昔ながらの暴力頑固おやじで、母親と子供たちはとにかく
父親に怒られない様に、小さな嘘を沢山ついて色々と誤魔化して
育ったようです。
だから 当たり前の様に面倒なことになるなら嘘を付くって感じでしたが
すぐばれるような、別にホントの事言えばいいのに的な事も多々あり
結局、信用できませんでしたね。
私自身のウソは若い頃はアッシー君とかメッシー君に付いた可愛い嘘かな
そもそも嘘をつく位なら 余計なことは言わないことですね。
uematsu Post author
sasaさん
「三つの真実に勝る、一つのきれいな嘘」という話もあるので、本当にケースバイケースだと思うんですが、
結局、その根底に思いやりがあるかどうか、愛があるかどうか、ということのような気がします。
そのあたりを忘れずに生きていきたいですね。
uematsu Post author
ジャスミンさん
なんとなく、その場の空気で「うん、知ってるよ」なんて嘘を吐いてしまい、
そこでその話題が終わると思っていたのに、延々と続き、
嘘を吐き続けるしかなくなってしまった、という経験があります。
確か、小学生の頃。あれ以来、無理に嘘をつくと、えらいことになる、
と学習したような気がします。
したのかな。したと思う。きっとしたと思いたい(笑)。
nao
こんばんは
uematsuさんはルノアールでいろんな人に出会うのですね。
小さな嘘は私もつきます。
相手が余計な気を使いそうな時
絶対ばれないであろう時
ちょっと面倒くさいなという時
小さな嘘で楽してしまう。
自分に対しては「方便」と言い訳します。
子どもの頃の親の対応は影響するでしょうね。
4,5歳の時、近所のお店でガムを盗んだ私に
母は包丁を持って「手を出しなさい」と言いました。
小さな嘘はつきますが、万引きなどには無縁だったのは
母のおかげかもしれません(笑)
uematsu Post author
naoさん
ルノアールは本当に話題の宝庫です(笑)。
それにしても、いいお母様ですね。
僕も子供の頃、嘘をつくと本気で家の中から通りに投げ飛ばされたり、包丁で「お前を殺して、俺も死ぬ」と言われたこともありました。
あのときは「怖い」思っただけですが、今思うと親も必死だったんだと思います。
midori
私思うにルノアールの人は小さいウソをついて幼い頃から生き延びて来た。uematsuさんはウソをつかない事で、反対に言うとウソをついたら生きれなかった環境で生き延びて来た、という事だと思います。
uematsuさんが小さなウソでもどうしても許せないのはウソをついたら抹消される⁉︎という思いがあるからじゃないですか?
ルノアールの人はその反対?大げさ⁇
ウソをつく事を肯定するつもりはないのですが人それぞれいろんな方法で人生くぐり抜けてると感じた訳です。
uematsu Post author
midoriさん
そうですね。嘘をつかないと切り抜けられないことだってあるだろうし、嘘がきっかけで追い詰められることもあるし。みんな、いろんな立場で、いろんな具合に生き延びて来たんだなあ、と思います。
僕は小さな嘘を許せないというのではなくて、次から次に小さな嘘を繰り出せない程度に、嘘に対する抵抗がある、という感じでしょうか。
次々と平気で嘘をつける、というか、ついてしまう、という人もいますよね。
それを羨ましいとも思わないし、嘘をつくな!とも思わないんです。
人っていろいろだなあ、面白いなあ、と思います。