オッサンの心の中。
以前、このコラムを読んでくださっている女性から、「50代の男性がどんなことを考えているのか、よくわからないので参考になります」と言われたことがあった。その時、「参考にはならんでしょう」と答えたのだけれど、それは謙遜でも何でもなく、僕が書いていることのほとんどが僕の個人的な妄想日記の様相を呈してると思っていたからだ。
しかし、そんな読み方もあるのだと思ったことも確かで、今日、改めて、「それなら、今目の前にある景色の中で、オッサンの心の中を素直に書き上げてみたらどうなるか」という壮大な実験を始めようと思うのであった。
いま、僕は自宅からすぐの場所にあるエスプレッソ系の個人経営のカフェにいる。客は僕一人だ。若い店主がいれてくれたカプチーノはとてもおいしい。目の前の団子坂を行き来する車は坂を一気に駆け上がるためにいつもエンジンを吹かし気味で若干うるさい。
そこに僕と同年代とおぼしき太ったおばさまがやってきて、カフェラテのラージを頼む。ラージなんて頼むからそんな体型になってしまうんだよ、と思ったりもするが、そちらに視線を送っていることも悟られないようにする。
そんなことを考えていると、細身の若奥様ふうの二十代後半の女性がやってきて、同じくカフェラテを頼むのだが、もちろんSサイズだ。そして、彼女がカフェラテを待っている間中、先に来てカフェラテラージサイズを飲み始めたおばさまは、鞄を開けるたびに、カップを持ち上げるたびに、いちいち「よっこいしょ」と小さく声に出す。おまけに、なにをしているのかわからないけれども、ずっとビニールの袋をカシャカシャカシャカシャ言わせていて鬱陶しい。
そして、そんなことを書きながら、「こんなことを書くと、『どうせ、男は若い女が良いんでしょ』というかつて浴びせられた罵詈雑言がよみがえってくるが、そんなことは放っておいてくれ」と心底思う。僕がいま書いているのはたまたま目の前に居る、二人の女性についての話で、その片方が男であれば、その男についての感想を述べていたはずだ。
正直に言えば、若い人にも年輩者にも魅力ある人はいる。ただ、年配になればなるほど「その年になって、なぜそんなことができないのだ」と見る目が厳しくなるのは致し方がない。若い女性の着こなしがだらしなくても、「ああ、そういうファッションなのか。まったく似合ってないけれど」と笑って見逃せていたのに、年配の女性だと「もうちょっときちんとしたほうがいいのに。その年になっても自分に似合うファッションがわからないのか」と思ってしまうのは確かだ。
さらに同じアホなら無邪気で若いアホの方が救いがある。ある程度経験を積んだアホは男でも女でも手に負えない。そして、経験を積むほど、いいことだけではなく、嫌な部分だって蓄積しているのかもしれない、と思える人が本当に多い。僕がいま本業の広告仕事で絶望的な気持ちになってしまっているのは、若いアホではなく、年配のアホが年々増え続けているからだ。
歳をとると気が短くなるというがそれはある意味本当だ。ただ、気が短くなるというだけではなく、経験をある程度積んだことで、答えが導き出される時間が短いということもあるのかもしれない。そんなことをすると、こうなるだろう、という予測が経験値から瞬時に導き出され、ほうら、こうなった!と言うことが多くなる。すると、考えが逡巡するよりも先に、「それはダメだよ。こんな風になるから」と勝手に答えを出してしまうことがある。これは個人的にとてもよくないことだと思う。経験値から予測を導き出すのはいいけれど、それがいつも正しいとは限らない。そんなことばかりをしていると、知らぬ間に「思い込みの激しい頑固じじい」ということになってしまう。僕なら頑固じじいだが、女性なら頑固ばばあである。
ということで、今年55歳を迎えるオッサンは、こんなことを考えているのだけれど、これじゃいかんということで、日々を丁寧に生きようと思ってみたりもするのだった。どうでもいい駄菓子を食うよりは、ちゃんとした和菓子屋のあんこを食べよう、とか。缶コーヒーを飲むくらいなら、自分で豆を挽いてコーヒーを淹れようとか。ちゃんと朝の挨拶をしようとか、人に優しくしようとか。
まるで小学校の学級会で先生に「人に優しくしなさい」と叱られて、とぼとぼと通学路を家に向かっていたあの頃と同じようなことを50代の半ばになっても考えているのだ。そして、いま目の前でカフェラテラージサイズの入った大きめのカップをガチャン、ガチャンと大きな音を立てて置くしかできない無様なおばさまを横目で見ながら、「うるせえなあ、ばばあ」と思ったりして、その直後に「どこが人に優しくだ」と思ったりしている。
2017年6月のある日、今年55歳になるおっさんは、こんなふうにどうしたら年相応のおっさんらしく、どっしりと構えて、丁寧に人生を送れるのかを心揺らしながら考えているのだ。もちろん、「そんなことを考えなくても、できる奴にはもうできているんだよ」という心の声を感じつつ。嗚呼。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
「ネコのマロン」販売サイト
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クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
そして、こちらが「ネコのマロン、参院選に立つ。」のサイト
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
さきこ
私もここ数年、いろんな意味で頑固ばばあになってる自覚があります。自覚がない部分でのどす黒さもあるはず。印象だけでもなんとかしたいと口角だけは上げるよう意識してるのですが、うまくいってるのかは定かでないです。
ところで、昨年植松さんのコラムを読み、触発されて申し込んだ大阪マラソンに当選しました。
こちらを見てなかったら申し込んでなかったろうなあと思うし、元々くじ運もないので、これもご縁ですね。
そして大阪を走れるとわかったら、普段は無理くり上げてる口角もいまは自然に上がってます。
ありがとうございました。
uematsu Post author
さきこさん
僕も口角上げて生きていきます(笑)。
僕は今年の大阪マラソンは落選でした。
応援してますね。
きゃらめる
我が家の今年56歳になるおっさんは、本日二日酔いで欠勤です。
何十年も学習しないことを指摘すると「学習してるよ、学習したから予め今日午前中休みとった」とのたまうのですが、詰めが甘いので午前中では回復せず結局午後も欠勤。
尊敬してるし愛すべき主人ではあるのですが、
こと酒付き合いに関してだけは、救いようのない馬鹿だとあきれております。
uematsu Post author
きゃらめるさん
なんだかご主人の気持ちがよくわかります。
学習しているのです。
でも、だからと言って全てを受け入れるわけにはいかないのです。
それよりも、お酒の旨さ、楽しさを優先させてしまうのです。
人間て、ほんと面白いですね。