「しがむ」という言葉。
ググらないのである。ちょっとばかり意地になって、仕事でコピーを書いているときに、どうしても調べなければ、とならないとググらないのである。ググったら負けだという勢いである。ググって調べなければならないくらいなら、使う言葉を換えてしまうくらいにググることに抵抗しているのである。
ということで、「しがむ」という言葉についてもググらない。ググらずに書くので、もし間違っていたら申し訳ない。申し訳ないが責めないでいただきたい。
前回書いた、「カニ」についてのコラムで、僕は「しがむ」という言葉を使ったのだが、これについて何人からの人から「しがむってなんですか」と聞かれたのである。聞かれて初めて僕は「しがむ」という言葉が一般的でないのだと知った。そして、周囲に聞いてみると、やっぱり東日本の人たちは「しがむ」という言葉を使わないらしい。大昔、何かの文章を書いているときに、「しがむ」という言葉を辞書で引いたことがある。たしか、漢字で書くと「噛む」と書いたと記憶している。つまり「かむ」と「しがむ」は同じということになるのかもしれない。
しかし、実際に日常的にこの言葉を使っていた者からすると、「かむ」と「しがむ」は明らかに違う。「かむ」はいわゆる上下の歯と歯を合わせてものを「かむ」ということだが、「しがむ」というのは、もう少し激しく「がしがし」と何かをかんで、中のエキスを吸い出すようなイメージがある。
うちの母がよく言っていたのは、「サトウキビをしがんで甘い汁を吸う」というような使い方だ。あとは、この間の文章のように「カニをしがんで食べる」というふうに。
おそらく、関西圏で使われる言葉なのだろうが、なんとなく、「かむ」ではなく「しがむ」という言い方がぴたりとくるシチュエーションだと僕には思える。逆に、例えば、東京ではカニのあの脚の付け根のあたりのややこしいあたりを、ガシガシとかみしめてエキスを吸い出すような行為を一言で、何というのだろう。そう考えると、しがむというのはとても便利な言葉のように思える。
そういえば、最近は、ど真ん中の言葉しかなくて、あとはそこに形容詞を付けるというやり方でみんながしのぐようになった。雨なら「土砂降り」と「小雨」あとは「ゲリラ豪雨」くらいで、昔の小説に出てくるような「驟雨」「通り雨」「こぬか雨」などの言葉はほとんど使われなくなった。そういえば、「にわか雨」は急に降り出す雨で「驟雨」もほぼ同じ意味だったと記憶しているが、僕の知っている若い衆は「にわか雨だから大丈夫ですよ」と言い、その意味を「傘のいらないくらいの小雨」だと思っていたようだ。
だいぶ前から危惧しているのは、若い人たちの言葉に対する関心が薄れてきていることだ。明らかに、言葉を選ぶということが減っているし、できなくても気にしない人が増えているそれ自体、個人の自由のようにも思えるのだが、さすがに若い衆だって、自分の知らない言葉を相手が発すると、意味がわからない。意味がわからないとコミュニケーションがおろそかになる。コミュニケーションがおろそかになると、人と人との関係が希薄になり、そこから相手に対する寛容さがなくなっていくのだという確信めいたものを最近、感じるのである。
そうなると、例えば、僕が「しがむ」という言葉を使う。それを目の前の若い衆が知らないとすると、彼らは言葉にしないまでも、自分の知らないこととして無視するのである。「しがむ」って何ですか?とも聞かないし、「しがむ」を調べようとも思わない。ただただ「自分とは違う人」として区別する。そんなシチュエーション、そんな会話、そんなムードに何度か遭遇してきた。
言葉が滅びると、その場所の文化は滅びる。だから、言葉を大切にしなければならないし、逆に言葉を大切にしすぎてかたくなになりすぎてもいけないのだと思う。大切なことは寛容さと好奇心と謙虚さだと思うのだ。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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