それはきっと、君のせい。
ナポレオンが言ったそうだ。
『おまえがいつか出会う災いは、お前がおろそかにしたある時間の報いだ』
怖いことを言うね、ナポレオン。
そして、その通りだと思う。昨日、今日、仕事を始めた人間なら仕方がない。でも、何年も何十年も同じ仕事をしてきた人が、「本当はこんな風に働きたい」「こんな仕事はいやだ」なんてことを言っていると、そうしなかったのは自分じゃないかと思う。
そうしたければ、そうする努力をしなければならなかったはずだし、それが出来なかったのなら、黙ってそうできるように努力するしかないのである。
これはもう自戒も込めていっているのだが、ほとんどの恨み辛みの出所は自分である。それをまるで周囲が悪いように言うのは、本当に卑劣な性根だと思う。
少なくとも、自分だけが辛いんだと思うような人間には僕はなりたくない。そして、できることなら、自分だけが辛いと思っている誰かに対して優しい存在でありたいとは思う。
しかし、それはあまり良いことではない、と最近思うようになってきた。つい人のせいにしてしまう人に、あまり優しく接しようとすると、ついつい気を遣ってしまう。そして、そのいらぬ気遣いは、他人のせいにしようとする人の考え方を肯定することになってしまい、結果的にその人をさらに甘やかすことになってしまう。
つぶれるなら勝手につぶれろ。というくらいが本当はいいのかもしれない。だって、みんな知っているんだから。自分が飛べない理由が自分にあるということを。
アメリカの監督が作ったドキュメンタリー映画『二郎は鮨の夢を見る』を見ると、銀座の寿司の名店、すきやばし二郎で修行を続ける職人が登場する。彼は若い頃からずっと店主・小野二郎の下で働いている。そんな彼が店で出す卵焼きを焼きはじめて、実際に店に出させてもらえるまで十年かかったという。十年間、毎日だめ出しをされ、彼は毎日毎日OKをもらうために卵焼きを焼き続ける。そして、十年経った時、初めてOKが出たのである。
十年間、頑張った彼もすごいと思う。でも、十年間、だめ出しを続けた小野二郎もすごいのだ。自分の愛弟子が賢明に卵焼きを焼いていることは嫌というほど知っている。しかし、情にほだされてOKを出してしまうと、弟子はまともに育たない。そこで甘やかすことが弟子を殺してしまうことを師匠は知っているのだ。
今時、甘い師匠ばかりだ。僕も中途半端なコピーやデザインを眺めながら、一つでもいいところを見つけて褒めることが仕事であるかのような毎日を送っている。しかし、そうやって育つ若手は、辞めてしまうようなこともないかわりに、大きく育つこともない。なんなら、十年ほどしたところで、自分で壁を勝手に想定して、それを越えられないからと辞めてしまうようなことが多い。
でも、小野二郎の弟子のように、本当にいいと言われるまで師匠が我慢してくれた人は、強く粘る腰をもって生きることができる。
僕は正直甘やかされて育ったので、若手を育てる時にも、ついつい甘やかしてしまう。本当はもっともっと厳しくしてあげたいのに、厳しくすることが怖くて、自分からハードルを下げてしまう。しかし、そんなことをして、良いことなど何もない。
『おまえがいつか出会う災いは、お前がおろそかにしたある時間の報いだ』
というナポレオンが残したと言われる言葉は、忠告とも取れるし、ある意味、諦めと取ることもできる。
たとえば、若手に困らされるのは、若手をきちんと育ててこなかった側に問題がある。だから、相手を恨まず諦めろ、という意味合いもあるような気がするのだ。
ああ、それにしも恐ろしい言葉だ。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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