奈良で鹿に噛まれる。
関西に生まれ育ったので、奈良公園には子どもの頃から何度か行っている。学校から行った覚えもあるし、親戚のおじさんに連れられて行ったこと、また、自分の子どもたちをつれて行ったこともある。
奈良公園の中には江戸三という旅館があって、全室離れという子連れにはとてもありがたい環境が嬉しくて、何度か出かけたのである。
奈良公園の中にある旅館、しかも全室が離れなので、まあ言ってみれば小さな小屋がぽつんぽつんと建っていて、そこで静かに時間を過ごすわけである。
夜中に何かの気配がして、窓をそっとあけると、そこそこ大きな鹿が立っていて、じっとこちらを見ていたりすることもある。
そう、奈良公園と言えば、鹿だ。
先週末からこの月曜日までの連休を利用して、『なら国際映画祭』に出かけた。学生映画部門の選出を手伝った縁もあって、いくつかの会場を回って、できるだけ多くの映画を見ようと頑張ったのである。
そこで、見た映画の一本に……という映画の話もしてみたいのだけれど、今回は鹿である。
この映画祭はいくつかの会場で分散して上映が行われている。はしごをして会場を行き来する中に、奈良公園の真ん中にある東大寺のホールがある。僕もこのきれいなホールを目指して、奈良公園の中をてくてくと歩いていたのである。
すると、何匹もの鹿がいて、観光客からもらう鹿せんべいを目当てに、あっちをうろうろ、こっちをうろうろしているのである。
僕は子どもの頃に鹿せんべいをやろうとして、鹿の大群に囲まれて大泣きしたことがある。以来、鹿せんべいは恐怖のトリガーにしかならないことを知っているのである。
案の定、そんなことを知らない観光客たちが鹿せんべいを買い、飼った瞬間に鹿に突進され、荷物を噛まれ、服を噛まれしているのを僕は笑いながら見ていたのである。そして、見ながら、会場へと急いでいたのである。
すると、ぐいっと服を引っ張られて、僕は危うく転びそうになったのである。見ると、一匹のそこそこ大きな鹿が僕の上っ張りの裾をぐいっと噛んで引っ張っているのである。いやいや、僕は鹿せんべいなど持っていない。そんなに引っ張られても、なにもあげられないのだ。と僕は鹿に目でメッセージを送った。すると、鹿は、濡れた瞳でじっと僕を見ながら「そんなことはないでしょう。神の使いのこの私に何か差し出すものをお持ちじゃないですか」と言うのである。もちろん、鹿のテレパシー的な何かで。
ああ、そうだった。と僕は前にも感じたこの鹿的なメッセージを思い出したのである。
まだ幼稚園くらいの頃に、奈良公園に連れてこられたときのことだ。確か、連れてきてくれた叔父さんから、「鹿は、神さんの使いやから大事にせなあかんねん」と何度も言われたのだった。だから、鹿せんべいをあげるのも当然だし、何頭もの鹿に囲まれてしまったときも最初の間は、神様のお使いだから怖くない怖くないと我慢していたのである。しかし、そこは子ども我慢しきれずに大泣きしてしまったのである。
あの、子どもの頃の叔父さんの言葉と、鹿に取り囲まれた経験が、いまだに僕と鹿との距離感を作っているような気がする。
しかし、毎年毎年、奈良公園に行くわけでもない。数年、もしかしたら十数年、間があいたりもする。すると、そんなことを忘れて、のんきに鹿たちの前に自分の姿をさらしてしまうのである。そして、鹿に頭突きされたり、まとわりつかれている人を見て、指さして笑いながら、また「神さんの使い」という言葉を思い出して、「むげに出来ない」と立ち止まるのである。
今回も僕は映画の上映が迫っていたのだけれど、僕の服の裾を引っ張る鹿をむげに追い払わず、しばし鹿的なテレパシーのやりとりを試み、相変わらずわかり合えないまま、僕の服の裾をくわえたままの鹿と対峙したのであった。
ある意味、なら国際映画祭にふさわしい図のようにも見えるのだが、いつまでもこんなことをしていられない。僕はほんの少しだけ、小ずるいことを考えて、「鹿が神様の使いなら、使っている神様にお願いしてみたらどうだろう」と思ったのだった。
「神様、さすがにこのままでは映画の上映に遅れるので、お使いである鹿さんをなんとかしてください」という感じで、だいぶ下手からお願いしてみたのである。
すると、さっきまでわかり合えなかった鹿的なテレパシーがビシバシ伝わったのである。鹿が鹿的なテレパシーで僕にこう言ったのである。または、こう言ったように思えたのである。
「あのね、人間さん。神様は人間の都合はあんまり考えないのさ」
そして、また思い出したのである。この神様からのメッセージを僕は何度も奈良公園のこのシチュエーションで受け取っていたことを。
鹿から聞いたかどうかは、その時々だったような気がするが、最後の最後、鹿に翻弄され、「助けて」と神頼みをして、「いやいや、神様はそう都合よく助けてくれないよね」といつも僕は思っていたのである。
もしかしたら、奈良公園に行って、鹿の間を歩くということは、そんな神様からのメッセージを改めていただくということなのかもしれないなあ、と思ったのだった。
なんか、こういうところから始まる短編小説が書けそうな気がするな。喜劇的な展開で。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
爽子
10月にスケッチ教室の野外スケッチで、奈良公園に行くことになりました。
スケッチブックや画材を持ってるので、じっとするだろうし、囲まれたら
どうすればいいでしょうか。
て、相談持ちかけても・・・ですよね。
先生が「風景の中に鹿をいれてほしいから、奈良公園にいきましょう」てことに
なりました。
鹿じっとしててくれるのかな。
もろもろ不安です。