流転の海を流転する。
1982年に刊行されてから、37年をかけて完結した宮本輝の『流転の海』シリーズ。完結編である第9部『野の春』を読み終えた感動も続く中、そして、年末進行の続く中、どうしても我慢できなくなって改めて第1部である『流転の海』を手にしてしまったのである。
まだ高校生だった頃に手にした『流転の海』だが、『野の春』を読み終えた時、たまたまいた大阪で文庫版の『流転の海』を買い求めた。『流転の海』シリーズの37年かけて書き終えた物語の最初の一文が読みたくて読みたくて仕方がなくなったのだった。
汽車は、十五時間かかって、岐阜から大阪駅に着いた。
と、書いてあった。主人公・松坂熊吾が戦後の食料難の時代に疲れ切った人々と一緒に駅に吐き出され、駅前に広がる闇市を呆然と見渡す場面から第1部は始まっていた。
そして、50歳にして一粒種の伸仁が生まれ、松坂商会を再興し、人を信じ、裏切られ、殴り、抱き、走り、立ちすくみながら、死すまでの物語が始まるのだった。特に、『野の春』にも登場する辻堂がまだ青年として登場し、自分の身の上を語る場面に出くわすと、『野の春』の中での辻堂の行動がふいに一つの輪としてつながるような感覚に陥るのである。
だからだろうか、松坂熊吾という人物の終焉を読み終えた直後なのに、その人物の物語を最初から読んでいるという感覚がない。なんとなく、第9部『野の春』で亡くなった熊吾が、生まれ変わって新しい物語を生きているような、そんな感覚に襲われるのである。
「なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」
とは、熊吾の口癖である。完結までをまさにリアルタイムに37年かけて読み終えた者としては、楽観的に「そうだ!たいしたことはない。人生、そんなに悪くないぞ」とも読み取れるし、悲観的に「あがいたって、どうせ結果は同じなのだ」というふうにも読み取れる。そして、それこそが宮本輝作品の面白さなのだと思う。
宮本輝作品は短編では驚くほどの巧みな筆致を見せる純文学になり、長編になると多くの読み手をぐいぐいと引き込む大衆文学となる。それは、おそらく、どう見られるかということよりも、伝えたいことを真ん中に置いて、そのために必要なことをする、という類い希な作家としての立ち方がこの人の中にあるからだと思える。
37年間、このシリーズを読み継いできた間には、小説など読む暇もない時期があった。宮本輝という人の小説との距離が開いている時期もあった。それでも、この『流転の海』シリーズだけは買い求め読み継いできたのである。しかし、だからこそ一冊一冊を読み込んできた熱量は9冊それぞれに違う。以前は読み飛ばしていたような場面も、今度は丁寧に丁寧に読み、松坂熊吾の人生をしっかりと刻みたいと思う。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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はしーば
流転の海との出会いは、45の時でした。
植松さんよりもずっと年をとってから読み始まりましたので、紆余曲折はあったにせよ、9巻までの間にそんなに多くの月日が流れたわけではありません。
でも実はまだ、9巻に手をつけられません。あんなに最新巻の発売日を心待ちにしていたのに。
熊吾の終わりを迎える覚悟がまだ出来ていないのです。
それでもいつかは読まずにいられない時がやってくるでしょうから、その時まで待とうと思います。
そうしたら、植松さんの言葉を思い出して、一巻に戻って読むことにしましょう。
今、決めました。
uematsu Post author
はしーばさん
なんとなくなんですが、第9巻を読む前に、
全巻を読み返すのはやめました。
これまでの続きとして9巻を読んでみようと。
すると、なんだかうろ覚えの名前があったり、
ぼんやりしている出来事があったり。
そこからの第1巻の読み返し。
なんだか、豊かな時間をもらった気がします。
はしーば
9巻の後に1巻だけを。
記憶の箱に入れました👌
uematsu Post author
はしーばさん
もしかしたら、そのまままた9巻まで(笑)