金がなくても楽しめる老後はあるのだろうか。
便利な世の中になったものだと思う。スマホがあれば、だいたいの情報は収集できる。図書館に行ったり、パソコンの前に座ったりしなくても、スマホでうまく検索すれば瞬時に情報が手に入る。うまく収集できないなら、なんとか知恵袋とかで質問すれば、嘘か誠かはわからないけれど、それらしい答えが集まってくる。
街を歩いていて、いいなあと思う音楽が流れてくる。スマホのアプリにその曲を読み込ませれば、誰のなんという曲かを教えてくれる。教えてくれるだけじゃなく、自分が加入している音楽サービスにその曲があるかどうかを教えてくれる。サービスに毎月いくらかのお金を払っていれば、その曲をその場でダウンロードして聞くことができる。
電車に乗って、本を忘れた、と思ったときにも、スマホのアプリを開いて、好きな作家の好きな本のタイトルを入力すれば、本屋に行かなくてもその本を読むことができる。ありがたい。ありがたすぎる。
ただ、用心しないといけないのは、あなたのスマホに入った音楽は、あなたのもののようで、あなたのものではなかったりする。例えば、僕はアップルミュージックというサービスに加入しているが、ここで聞いている音楽は、僕が月ごとに支払っている料金を払わなくなった瞬間から聞くことが出来なくなる。
一冊いくらでダウンロードした本のデータは、もちろん僕のものだろうけれど、万一、僕がKindleのパスワードを忘れてしまったら、手に入れることが出来なくなるかもしれない。
ときどき、歳を取って仕事を辞めて、子どもたちが巣立ち、連れ合いにも先立たれたりして、たった一人で暮らしたりすることを想像してみることがある。そんな状態になるだけでも、寂しい気がするけれど、そんなときに「新しい本や音楽を楽しむなんて億劫だ。慣れ親しんだ本や音楽をもう一度楽しもう」と思ったときに、自分のそばに、紙の本やCDなどがないという暮らしがもう始まっている。
ネットを通して、いろんなコンテンツとつながっている便利さを手に入れたのに、それがいつまでも確実に自分のものである、という保証がない。手元に置いてある一冊の本を大事に持っていれば、いつでもその本が読めるのだ、という時代ではなくなっているのだ。
ようは、社会の一員ですよ、という確認が取れなければ、コンテンツの一つも楽しめない時代なのだ。そして、その確認とはようするに金だ。
昔、お金があったときに買った本やレコードを、お金がなくなっても楽しむということが出来ないなんて、なんて残酷な時代なんだろうと思う。死ぬまで一定額の会費を払えるように、社会が保証してくれる時代にならないと、安心して電子書籍や音楽のダウンロードを楽しめやしない。ああ、とても便利で辛い時代の到来だ。
電子書籍の便利さも音楽ダウンロードの気軽さも知ってはいるけれど、僕はせっせと紙の本とCDを買い続けるのである。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
「ネコのマロン」販売サイト
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クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
そして、こちらが「ネコのマロン、参院選に立つ。」のサイト
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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