はじめてのおつかい
この間、テレビで「はじめてのおつかい」を見た。僕はあの番組を見ると、ほぼずっと泣いている。なんだか、子どもが子どもだけで何かをしようとしている風景は、とても切なくなる。
僕のはじめてのおつかいは失敗だった。あのテレビ番組のように、親が「よし、今日ははじめてのおつかいをやってみよう」と言い出したわけでもなんでもない。おそらく、うちの母親も僕が今日初めて一人で買い物にいくという認識もなかったと思う。「あれ?そういえば、あの子、一人で市場に行くの今日が初めてやった?」というくらいのもんだろう。そのくらい、当時の子どもはほったらかしにされていたし、当時の親は慌ただしく働いていた。
確か、僕が幼稚園の頃だったと思う。うちの両親は共働きで、母は夕方仕事から帰ってくる前に、自転車で市場に買い物に行くのが常だった。その日も、自転車の前かごにも後ろのかごにも、山のように特売の商品を買い込んで帰ってきた。そして、料理を作り始めてすぐに叫んだのだ。
「豆腐買うの忘れた!」
それが僕のはじめてのおつかいへの合図だった。市場までは約10分ほど。毎日のように通っていた銭湯への道のりの途中にある市場なので、迷うことはない。豆腐屋さんだって、親と一緒になら何度でも行ったことがある。
問題は頼まれた豆腐の種類だった。うちの母はいつも「絹ごし豆腐」を買うのだ。そして、夕餉の席でも、父と母は「やっぱり豆腐は絹ごしに限る」と話していたのだった。それなのに、その日、僕が頼まれたのは「木綿豆腐」だった。今となってはその日の献立も思い出せない。ただ、僕は木綿豆腐を頼まれたのだった
迷うことなく豆腐屋に着き、僕は意気揚々と声を上げた。「おばちゃん!豆腐ください!」と。
すると豆腐屋のおばちゃんは「マサト君、よく来たね。今日は一人かい」とまるであの番組の優しいおばさんのように迎えてくれたのだ。しかし、それなのに……。
僕が「木綿豆腐ください」と言うと、おばちゃんは優しい笑顔でこう言ったのだ。
「ちがうと思うよ。マサト君とこのお母ちゃんは、いっつも絹ごしやから」
僕は首を横に振って答えた。
「ちゃうねん。いつもは絹ごしやけど、今日は木綿やねん」
僕がそういうと、おばちゃんは笑うのだった。
「聞き間違いやって。あんたとこのお母ちゃんが、木綿豆腐買うの、おばちゃん、見たことないよ。きっと、絹ごしの間違いやで」
僕はだんだん自信がなくなってきた。いや、しかし、確かにお母ちゃんは、木綿と言った気がする。いや、言ったはずだ。し、しかし、目の前の優しいおばちゃんが、豆腐の専門家が、そんなことはないはずだと言う。僕は勇気を出して、もう一度言ってみた。
「たぶん、木綿っていうたと思うねん」
僕がそういうと、今度は奥から豆腐屋のおっちゃんが出てきた。
「おう!マサト君!どないした。なに?木綿か、絹ごしかわからんようになったんか」
いや、わかってたはずなんやけどなあ、と僕がもじもじしていると、
「間違いないわ、絹ごしや。うちの絹ごしはなめらかでおいしいわ言うて、マサト君のお父ちゃんも言うてはったからなあ。間違えて買うて帰ったら、お父ちゃんに怒られるで」
おっちゃんはそう言って、豪快に笑うのだった。
僕の心は折れた。というか、お父ちゃんに怒られるとまで言われたら、もう逆らいようがない。僕はもう最初から絹ごし豆腐を買いに来たのだと思い込むまでに追い詰められていた。そうだ、確かにうちの家で、木綿豆腐を買っているのを見たことがない。いつも、お母ちゃんも「絹ごしください」と言うてはる。もし、今日、「木綿豆腐を買ってきなさい」と言っていたとしても、それが間違いだったのかもしれない。大丈夫だ。きっと絹ごしだ。絹ごし豆腐で間違いない。
僕は言われるがままに絹ごしを買ったのだった。もしかしたら、怒られてしまうかもしれない。そう思うと、どうしていいのか分からなくなり、僕はほとんど家の前まで到着しかけていたのに、再び市場へと引き返した。そして、豆腐屋の前に。
豆腐屋のおばちゃんは僕を見つけると「どないしたんや。はよ帰らな、豆腐がぬくうなるで」と笑った。僕がなんとなく、そこに立ち尽くしていると、今度はエプロンのポケットからあめ玉を出してくれるのだった。「ありがとう」と礼を言うと、僕は再び家への道を急いだ。
家に着くと、母はまだ料理の真っ最中だった。叱られるかも、と思いながら、僕は豆腐を母親に差し出した。母親は「木綿とちゃうの?」という顔で一瞬僕を見たような気がしたのだが、もうなんでもいいという表情になり、豆腐を包丁で切って料理してしまった。
あの日の料理がなんだったのか思い出すことができない。母が僕を叱ったのかどうかも思い出せない。ただ、豆腐屋のおっちゃんとおばちゃんの優しいお節介の前で、なにも言い返せず半泣きになったことと、頼まれたものも買えなかった、ということだけは、いつまでも覚えていてやるせない気持ちになってしまう。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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はしーば
もいっぺん、豆腐屋さんに戻ってもじもじしてた植松少年の「どないしよ?」な気持ちを想像で反芻してしまいました。
あー、せつな〜。
豆腐屋さん夫婦との優しいやりとりも堪らない!
植松少年の側まで行って、「木綿で間違いないで」と耳打ちしたげたい❣️
uematsu Post author
はしーばさん
優しいお言葉、ありがとさんです。
ほんと、あの時、はしーばさんがいたら!
でも、ああいう混乱が人を育てるのかもしれません。
うーん、育ってないかもしれんけど。