ジョナス・メカスが死んだ。
2019年1月23日、映画作家ジョナス・メカスが死んだ。つまり、この世からいなくなった。
メカスが今このときに、同じ地球上にいないという事実はなんだかとても重い。泣きはしないし、立ち上がれなくもないのだが、響いてくる。少しずつ少しずつ、ああ、メカスはもういなんだ、という言葉を吐きたくなるほどに響いてくる。
今年、来年あたり、映画作家メカスの新作が公開されることを望んでいたのではない。新作なんてなくてもいい。ただ、日記映画のエポックメイキングであり金字塔である『リトアニアへの旅の追憶』の作者であるメカスがこの世にいないということが哀しい。この哀しみは肉親を失った哀しみでもないし、師と仰ぐ者を失った哀しみとも違う。子どもの頃から住み慣れた家の庭を何気なく見やると、そこにあったはずの木が知らぬ間に枯れて朽ちていたような、そんな喪失感に似ているような気がする。
ハリウッド映画のように金をかけ、技術的な専門家が額を寄せ合って作られた映画ではなく、たった一人の作家が、自分でカメラを回し、自分でフィルムをつなぎ、自分でナレーションを入れて、自分で上映を担当することで成立させたジョナス・メカスは、たった一人で、映画の可能性を広げ、映画の見方を広げてくれた。以降、多くの映画作家がその影響を受けながらもそれを超える作家が生まれていない状況の中で、メカスは逝ってしまった。
ナチスドイツの侵攻するリトアニアで、「西へゆけ」と叔父に言われた若いメカス兄弟は新天地アメリカへと亡命する。そして、言葉も通じない国で、16ミリカメラを手に入れ、懸命にゼンマイを巻いて撮影を続けたのである。兄弟のおどけた顔を、新しい友の笑顔を、晴れた空や、咲き乱れる野の花を、そして、久しぶりに再会したリトアニアの村と、懐かしい母の顔を。
メカスが亡くなって、改めて思うのだが『リトアニアへの旅の追憶』が優れているのは、祖国を出てカメラを回し続けることで生きた男が、その撮影された映像をまるで他人のような目で客観的に眺め、新たな風景として自分の中に取り込もうとした点なのではないだろうか。
先日、同じように映画と関わってきた古くからの知り合いに、「植松さんはメカスを否定している」と的外れな指摘を受け、しつこく絡まれた。誤解はすぐに解けたし、別に怒りは残っていないのだが、どんな勘違いであれ、僕が「メカスを否定した」と受けとった底の浅い思考を、僕は未だに許すことができないでいる。それほどに、メカスは……。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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Jane
2019年1月17日、詩人メアリー・オリバーが死んだ。
と言ってもファンでない人には全然ピンときませんよね。家族や友達の死とも違う距離感、みんなが知ってる芸能人の死とも違うこの喪失感のシェアできなさ。その人のファンというより作品を通しての間接的なファンだったし、立ち直れないとか毎日思い出しては涙するとかいう種類のものでもないんですよね。
私はメカスも知らないしその映画を観たこともありませんので、メカスがいなくなって哀しいですよねとは言えませんが、対象は違えど、ほぼ同時期に味わっていた喪失感を植松さんに言葉にしていただいて、しみじみとしました。
uematsu Post author
Janeさん
コメントありがとうございます。
メアリー・オリバー!
僕の友人にメアリー・オリバーが好きな人がいて、一度、彼が訳した彼女の死を読ませてもらったことがあります。
そうですか。メアリー・オリバーも亡くなったんですね。
そうなんです。
松田優作が亡くなったと聞いた日に、「今日は仕事を休もう」と思ったあの感じとも違う。
開高健が亡くなった日に、ふいに泣いてしまったあの感じとも違う。
もっと大きな喪失感のような気もするし、もしかしたら、すぐに慣れてしまうかもしれない。
だけど、きっと亡くなったという事実はいつまでも色濃く僕の身体の中に残っていくような気がします。
そんな気持ちを共有していただいてありがとうございます。