D坂の降車事件
ヨメと一緒に上野のデパートで食材を買って、バス停に急ぐ。10分ごとにバスはやってくるので、それほど慌てることはないのだが、タイミングによっては渋滞でバスがしばらく来ないことがあるので、なんとなく急いでしまう。これを人は貧乏性という。泰然とはできないのである。
いそいそとバス停に到着すると、すでに15人ほどが並んでいる。このバスは、根津神社界隈や僕が住んでいる千駄木あたりを通り、早稲田まで行く。つまり、東京の中でもいわゆる下町を通るので、お年寄りや家族連れの乗客が多い。
さて、この15人ほどの列に並ぶと、僕たちの後ろに家族連れが並んだ。三十代らしき旦那とヨメ、そして、小学生の男の子と女の子である。並んで早々、この夫婦が話し始めた。
夫「とりあえず、団子坂下でビーグルに乗り換えようか」
ビーグルというのは文京区が運営している地域のローカルバスである。これは100円で巡回しているバスで、地域の人たちにかなり重宝されているのである。
妻「えっ。乗らないわよ。だって、ビーグルに乗ると100円余計にかかるのよ」
夫「だけど今から乗る都バスは混むじゃない。団子坂下でビーグルに乗り換えた方が快適だよ」
妻「お金かけるなら、最初から電車乗ってるわよ」
夫「だけど、混み混みのバスに乗り続けるのは不快じゃないか」
妻「不快ったって、みなさん乗ってるじゃない。普通よ」
夫「いやいや、コレより快適なものがあるって分かっていて、それに乗らないっておかしくない」
妻「おかしくないわよ。新幹線のグリーン車の方が快適って分かってるけど、しょっちゅうグリーン車に乗ってたら、破産するわよ」
と、ここまで話したところで、バスがやってきた。さあ、どうするんだ。人ごとながら、話し合い途中でバスで乗り込んでいいのか?と心配になる。
実は、僕たちが降りるバス停は、彼らがさっきから話題にしている団子坂下である。つまり、僕たちが降りるときに、この家族が一緒に降りるかどうかで、結果が分かるのである。ちなみに、団子坂は、あの江戸川乱歩先生の書いた『D坂の殺人事件』の団子坂である。
僕たちは乗り込んだ。団子坂で家族がニコニコと降りるのか。それともそのまま乗り続けるのか。はたまた、江戸川乱歩先生の書いた小説のように血なまぐさい事件が起こるのか。
バスは家族連れの夫が言うように混み混みであった。確かに、不快なほどに混み混みであった。僕たちはバスの奥の方へ歩みを進め、件の家族連れは少しばらけた。夫と女の子は座席に座ることができ、妻と男の子は少し離れた場所で立っている。夫と女の子の方が、出口ドアには近い。ということは、団子坂下のバス停に着いたとき、もし、夫が女の子の手を引いて強引に降りてしまえば、勝負は夫の勝ちとなる。僕はそんな結末を思い描きながら、バスに揺られ始めた。
団子坂下のバス停まで約15分ほど。徐々に近づく団子坂下。バスの中は降りた分だけ乗ってくると言う状態で、ずっと「ちょっと不快だな」という混み具合。そんな中、家族連れの夫はどうするのか。
人と人とのすき間から時折、家族連れを見るのだが、様子がよく分からない。なんとなく、ソワソワしていると、バスは団子坂下に到着したのだった。バスがゆっくりと停止し、ドアが開く。僕たちは上野で買った食材を持って出口へと進む。家族連れは降りない。家族連れの妻と男の子はゆったりと話しながら、降りる気配がない。どうした、夫。降りなくて良いのか?と、夫が座っている座席の方を見ると、なんと、夫は口を開けて眠っていたのだ。
そんな夫を妻は微笑みながら見ている。夫が眠ってくれたおかげで、団子坂下で降りて、ビーグルに乗るという余分な料金がかからないのだから。
僕たちが降りて、その後、若いカップルが降り、バスは行ってしまった。あの家族連れはどこまで行くのだろう。あの夫は、途中で目を覚まして、何か言うのだろうか。でもまあ、途中で目を覚ましたところで、自分は椅子に座って口を開けて眠っていたのだ。よく考えれば不快も何もないはずだ。ただ、妻の言う通りにしてしまったという敗北感がそこはかとなく漂うだけなのだろうか。
そのあたりを見届けたいという思いを抱きながら、僕たちはD坂をえいさほっさと上がるのであった。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
「ネコのマロン」販売サイト
https://store.line.me/stickershop/product/1150262/ja
クリエイターズスタンプのところで、検索した方がはやいかも。
そして、こちらが「ネコのマロン、参院選に立つ。」のサイト
http://www.isana-ad.com/maron/pc/
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
Jane
本当に、推理小説風でした。事件は日常に転がっているのですよねー。
夫は家族の平和のために寝たふりをしていた、というオチかと思いました。
uematsu Post author
Janeさん
寝たふりなのか?
というのは、一切思わなかったです。
でも、それもあるかもしれませんよね。
なるほど。
Jane
繊細さを強調していた夫が超不快な環境で居眠りできる、っていうひねりも面白いですよねー。いろいろな解釈のできる終わり方がいいですね。
Jane
追加です。
普通、成人男性は女性や子供やお年寄りに席を譲りますよね?でもあえて奥さんと一人の子供は立っていても自分は座り続けてさらに居眠りまでしてやったというのが、彼にとっては抵抗ということなのかもしれない、とか、夫婦の普段のパワーバランスはとか、まあ、いろいろ想像が広がりました。単に真相は居眠りしちゃっただけの話かもしれないですけど。
uematsu Post author
Janeさん
ま、なんというか、たぶん、空気が読めない旦那なのかもしれませんね(笑)