乗り気がしない。
中学、高校の頃、わりと老けて見られたのだけれど、三十代の半ばを越えた辺りから、年よりも少し若く見られることが多くなった。とは言え、「おいくつかですか?」と聞かれて、「若く見えますね」とか「若々しいですね」とか言われると、自分が若い頃、お年寄りにそう言っていたことを思い出して、五十代半ばをどんだけ爺さんやと思てんねん!と思うのだけれど、まあ、そう思われる歳になったのだから仕方がない。
さて、五十代半ばになって、何かの弾みで膝が痛くなったり、カラオケに行ってむかし歌えていた歌の高い声が出なくなったり、階段を普通に歩いているつもりで踏み外しそうになったり。いろいろあって、ああ、これが老けるということか、と思うことがある。けれど、いちばん老けたなあと自分で思うのは、いろんなことに気乗りがしなくなったということだ。
すべてに興味がないわけではない。やりたいことはいっぱいあるし、行ってみたい場所もたくさんある。けれど、いざ、という段になると、まあ、今日のところはいいか、と思うことが多くなった。早い話が気乗りがしないのである。
毎日が楽しくないわけではない。それなりに楽しんでいる。明日に向けた夢や希望がないわけでもない。けれども、踏ん張りがきかないのだ。
それが単に歳のせいなのか、一度、死ぬかもしれないという病気になったせいなのか、それとも、生来の怠け癖のせいなのかはわからない。わからないのだけれど、どうもそんなことばかりを考えてしまう。
まあ、理由はわからないけれど、よくない兆候であることには間違いないだろう。このままだと、意欲の欠片もない、どうしようもない奴になってしまいそうな気がする。さて、どうしたものか。
と、そんなことを考えていた日曜日の午後。バサッと、目の前に洗濯物の小さな山が置かれた。「ほら、たたのむ手伝って」と声には出さなくても行動でわかる。というわけで、僕はそのなかのTシャツを一枚、手に取ってみた。たたんでみた。洗ったばかりのTシャツは階段の踊り場に干してあったもので、そこはこの家で一番あたたかで、洗濯物が一番乾く場所だった。そんな昼間の温もりが、シャツを畳む毎に、シャツの周囲に広がっていく。乗り気のしない僕のだらしなさが、そんな温もりをふくみながら、少しおだやかな心持ちになる。
気乗りはしないまでも、と僕は思う。もうちょっと頑張ってみよう、と思う。そんなちょっとゆるい自分の明日の気合いが、割と嫌いではない。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
kokomo
50代に足を踏み入れたばかりですが、ああ、わかります。やりたいことに対する執着心というか粘着力がなくなっています。
旅行も、計画しだしたころはまだ少しわくわくするのですが、結局色々なことが面倒になってきて「ま、行かなくてもいっか。」と、計画段階で投げ出してしまうことが増えました。なんて言っているうちに、本格的に身体が(そして頭も)動かなくなってしまう日が来そうです。「今のうちに」と「まあいいか」のせめぎ合いで毎日が過ぎていきます。
uematsu Post author
kokomoさん
ですよね。わかります。
旅番組を見て、翌日出かけるなんてこともあったのに、
最近は見ただけでいった気になります。
でも、今思うと、今より5年前、10年前の方が明らかに、
意欲も行動力も集中力もあったなあ、と思います。
ということは、やっぱり思い立ったが吉日なんですよね。
が、が、がんばります。