サブスクで、愛は死ぬかも。
僕の親の世代は子どもの頃にテレビがなかった。テレビ放送が始まっても、テレビが買える家庭は数えるほどだった。だからこそ、テレビは富の象徴のようになり、一生懸命に働いて、テレビや洗濯機や冷蔵庫を自分の家庭に置こうと頑張ったのだった。
ただ、僕の父親もそうだったけれど、物心ついてから登場したものについては、多少懐疑的な部分があり、手放しでテレビを信用するということはなかったような気がする。そこへ行くと、僕らの世代は生まれた時にはテレビがあり、冷蔵庫があり、洗濯機があった。まだまだ少なかったけれど、小学校のクラスメイトの中には自家用車を持っているという家の子も何人かいた。
僕の場合、小学校の途中でカラーテレビがうちにやってくるという経験をしてはいるけれど、やはりテレビはあって当たり前というものだった。親に怒られるまで、休みの日にはテレビをずっと見ていた。いま僕らが「ネットなんてなかった時代の方が良かったよ」と言っているのと同じようなテンションで、「テレビなんて一億総白痴化の元ですよ」と小津安二郎の映画の中で笠智衆も話している。
そんなふうに、新しいことが次から次へと押し寄せてきて、そのたびにいろいろと便利になり、いろいろと精神的な不自由が降りてくるのだと思う。で、いま僕らのもとに押し寄せているのは、個人的にはコンテンツの配信なのではないかと思う。例えば、音楽をレコードなりCDなりで買うのではなく、ネット配信でダウンロードして聞く。入らなくなったら削除すればいいし、もう一度聞きたくなったらもう一度ダウンロードすればいい。
前にも書いたと思うのだけれど、つまりこれは自分で所有せずに有料の図書館に預けていると考えればいいわけだ。あくまでも図書館的なものなので、コンテンツを見る権利を得ることは出来るけれど、それを個人で所有することはできない。所有しているように見えるけれど、それはネットでの認証が出来ているという大前提があり、例えば、ある日突然お金がなくなり、会費を払えなくなると、これまで慣れ親しんだ大好きだった曲も聴けなくなってしまう。
この会費を払って聴ける権利を得るというやり方は、映画コンテンツでも一般的になったし、本や雑誌でも一般的になってきた。いまでは、服や車もこの定額サービス、サブスクリプションが登場して、これからの主流になる気配だ。
さて、ここから何が始まるのか。僕はこれは愛なき世界への突入だと思っている。社会学者でもなんでもないのに。いやもう、一個人として思っている。だって、それでなくても、自分の持ち物や人間関係に愛着を持たない若いのが増えているのに、これから先、すべての服や本や音楽が自分の所有ではなくなるのである。そして、お金を出して借りているのだ、という感覚になってしまう。そりゃ、借りている車だって、時間が経てば愛着もわくだろう。けれど、それは自分が必死に貯めたお金で、ローンを組んで自分のものにした車とはやっぱり違うはずだ。
何年か後に、「なんかこの車のここが嫌だな」と思った時に、それでも「自分が選びお金を払った車だから」とガマンすることができなくなる。人間、そういう場面で少しガマンすれば、不満を乗り越えて新しい魅力が見えてくるということだって、実際にあったりする。または、相手に対する不満が、実は相手のせいなのではなく、自分自身の欠落した感情のせいだったということだってあるだろう。だとしたら、しばらくして不満を乗り越えるということは、自分自身が成長したということの証に他ならない。
さっきも言った通り、社会学者でも社会分析の専門家でもないので、確かなことは言えないけれど、若い人たちを扱った映画に「好きがわからない」がテーマとして同時多発的に増えている昨今。好きがわからない。好きって何?愛って何?という人がもっともっと増えてくる、というか実際に増えてきている気がする。
そして、それはおそらく、人が退化するというよりも、人が無理をして作り上げてきた社会というものを僕たちの手でもう一度壊して再構築する時代へ突入しているのかもしれない。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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プリ子
いまさらのコメントですみません。
物を捨てられないほうなので、このお話、そうよねそうよね、愛なのよね、と自己弁護しながら読みました。キンドルで買った本は、自分の本という気がしなくて、読み返さないんです。
https://gigazine.net/news/20191008-adobe-deactivate-all-venezuela-account/
こんなニュースがありました。Adobeが今クラウドになっちゃってるから、アカウントを凍結されると、何もできないっていう話です。昔はお皿にソフトが入ってたから、買えばこっちのものだったけど。
だから、サブスクは、愛だけじゃなく、自由も奪っているのかも??
uematsu Post author
プリ子さん
そうですね。サブズクは自由も奪う気がします。
聞きたい曲を好きな時に好きなだけ聞ける、とか。
読みたい本を好きな時に好きなだけ読める、とか。
でも、それは「こっちが用意したものの中から、
という条件付きですからね。
そう考えると、緩やかな管理社会へと
移行しているような気もします。