私の名を呼ぶ声
いきなりなんですが、私の名前は「まさと」と言う。「まさとと言う」と書くとなにを突然えらそうに、という感じだけれども、今回の話は私の名前を伝えておかないと始まらないのである。「まさと」という名前を漢字で書くと「眞人」と写真の「真」の字の旧字である。ま、それは今回の話にあまり関係がない。いや、関係ないこともないな。
ここ数年、僕は大阪の映画の学校の講師をしていて毎週のように関西に通っている。東京から大阪へ行くと、兵庫県伊丹市の実家で寝泊まりをすることになる。いま実家には老いた母が一人暮ししているのだが、この家は、僕が生まれ育った家ではない。阪神大震災の際に元々の家が半壊して、いまの家を両親が同じ市内の別の場所に建て直したのである。
なので、僕自身は母が住んでいるから実家と言っているだけで、僕自身の実家という気持ちが希薄だ。それに、母は僕のことを割と苦手意識をもって見ていて、これは子どもの頃からなのだが、「あんたは何を考えているのか、ようわからん」と言われてきた。年子の弟と母は仲が良く、ときどき実家に帰ってくる弟は、まるで嫁に行った娘がたまに帰ってきたときのように、母と戯れるように会話している。
仕事もバタバタしているので、食事も外ですることが多く、実家に帰っても風呂に入って寝るだけ、と言うことが多い。まあ、そんなこんなで、僕と母との関係は、わりと高校生の母と息子のような会話の少ない他人行儀な感じなのである。
優しくしたいという気持ちがないわけではないし、別に冷たくしている感じでもないのだけれど、うちのヨメが来ているときの母のはしゃぎ方や、弟と話しているときの楽しそうな様子を見ると、まあ、それは僕以外の人に任せようという気持ちになるのである。
おそらくそれは母も同じなようで、なんとなく、僕が帰ってきて安心している様子は見せるものの、必要最低限な会話をすると、自分の好きなテレビを見ていることが多い。たまに、だまってそれを一緒に眺めるのが僕のいまのところ出来る最大限の親孝行だ。
さて、そんな実家暮らしのある日の朝のこと。僕がバス停でバスを待っていると、遠くから「まさと〜、まさと〜」という声が聞こえてきた。この歳になって、下の名前で呼ばれることなど滅多にないので僕は驚いて振り返るとそこには、小走りで駆けてくる母の姿があった。手には僕がいつも被っているハンチングを持っている。
その日の朝、慌てていた僕はいつも被っている帽子を忘れていたのである。しかし、そのことは僕もわかっていて、「今日は帽子なしでもいいや」と思っていたのである。それを母は気を遣って持ってきたのである。たくさんの乗客が並んでいるなかで、50も半ばのおっさんが下の名前を呼ばれるという恥ずかしさ、そして、年老いた身体で走ってケガでもしたらどうするんだというちょっとした腹立ち。そんなものがない交ぜになって、「帽子なんて、なくてもいいから!」と僕は帽子を届けてくれた母に、小さい声ながらきっぱりと言ってしまったのである。
驚いた母の顔。そして、あ、しまったという僕の思いが一瞬の沈黙を呼んだ。その後、僕は「まあ、でも、あった方がいいから、もらっとく」と帽子を受け取るのだが、バス停を後にした母の背中がなんとも小さく、そして、寂しげで、僕は帽子を被りながら申し訳ない気持ちでいっぱいになったのだった。
その日、外で夕食をすませた僕は、なんとなく「ごめんな」という気持ちでデパ地下で母が好きなクリームパンを土産に買って帰った。いつもなら、まだ起きていてテレビでも見ているはずの時間だったのだが、母はすっかり眠っていて、僕は賞味期限が当日中と書かれたクリームパンを自分でおやつ代わりに食べたのだった。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
ネコのマロンとは?→★
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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はしーば
切ない、なんとも切ない。
お母さんも植松さんも。
uematsu Post author
はしーばさん
なんというか、子どもなんでしょうね、僕が。
「おー!ありがとう!」と言えばそれですむのに。