居場所がない。
誰が何をしていてもいいのだが、自分が何かを相対化するために使われるのはたまらない。「あなたは、これだけのことができるので、ギャラはこれだけです」と言われるのはわかりやすくていい。でも「あなたにはこれだけお支払いしたいのですが、〇〇さんがこれだけなので、この程度で」と言われるのは気持ち悪い、というお話。しかも、その〇〇さんのところに自分の名前が入っていたりすると、人のギャラを下げるために使われているということになって心外である。
そもそも、そのギャラを決めたのだって僕ではない。「この料金でお願いします」と、言われたからそれで受けただけなのだ。にもかかわらず、その金額が誰かのギャラを決めるために使われているのは、居心地が悪い。
ま、お金の話はとてもわかりやすいのだけれど、それ以外にもいろいろとこういうことがある。「文句言わないで、〇〇さんも言ってないんだから」とかいわれると、本当かどうか確かめにいってやろうか、という気持ちになってしまう。
こういうことが日常茶飯事になると、ほんとうに居場所がなくなってしまう。せめてひとつでも、絶対的な評価で価値を認めてくれる場所が人には必要なのだと思う。
そしてそれは、知らず知らず恐怖政治を思い起こさせるような緊張感を人に与えてしまうのだ。
と、書いているのはまさに僕が関わっている場所でこんな状況が広がっているからだ。しかし、こういうのは一度走り始めるととことんまで行く。いままでの経験上、途中でブレーキがかかったり、途中で改善されたりということはまずない。
だって、相対だから正解はないんだもん。正解は言ってるやつのさじ加減でずれていくんだもん。
こんな中で居場所を手に入れるためには、自分自身の絶対を手に入れるしかない。相対的に見ればそうなのかもしれないけど、オレはどう考えてもこれとこれはできてるね、と確認していくしかない。そのための手立てを手に入れるしかない。
それが資格なのか、誰かからの称賛なのか、友だちの友情なのか、家族からの労いなのか、きちんと小金を稼げる副業なのか。
悲しいけれど、ひとつの場所からのひとつの基準から発せられる価値判断だけで生きていくには、この世界はあまりにも移ろいやすい。そんな気がしてきた。
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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