おっさんだって、寂しいのよ。
映画の学校で、一緒に作品を作っていると、いまの学生たちの一番の敵が「寂しさ」だということがよく分かる。テーマとして選ぶ内容が「死」であったり「いじめ」であったり「就活」であったり「恋、失恋」であったりするのは、今も昔もそれほど変わらない。自分の人生のなかでドラマチックな部分をくみあげて、映像作品にするのがいちばん手っ取り早いからだ。
そこから、「自分の恋愛をそのまま映画にしたって、実はあまり面白くない」とか「就活をテーマにしても、実は喉元過ぎればでみんなはそれほど興味を持ってくれない」とかいう現実を少しずつ知り、そこにフィクションとして何を付け加えるのか、なにを引き算するのか、ということを考えていくわけだけれど、そこからがなかなか進まないのだ。
みんな、自分でじっと考える、ということができない。SNSに逃げ込んだり、友だちとの遊びに逃げ込んだり、時にはバイトに逃げたりする。中には誰にもとがめられない就活に逃げ込むというなかなか手の込んだことをする学生もいる。でも、その本質は「一人になりたくない」という寂しさとの戦いに負けているのだと思う。
でも、そのことを当の学生たちも知っていて「これじゃいけない」と思ってはいるようなのだ。思ってはいるけれど、どうしても寂しい。私だけが寂しい。みんなが羨ましい。どうすればいいのだろう。そんな想いに囚われて、作品作りじゃなくなる。本当はそこで寂しさに耐えて頑張ることでしか手に入れられないものがあるのだけれど、やっぱり寂しさに負ける。
それを克服させるために、ひとつ課題を与えて、それをクリアすればほめて、また次の課題をあがる、というやり方をするようにしている。名付けて「次の電信柱まで作戦」なのだが、まあ、マラソンを走るときに、いきなりフルマラソンは無理でも「次の電信柱まで頑張るぞ」という短距離目標をクリアしている内に、自分でも思ってもみなかった長距離を走れるという、あのベタな作戦である。
しかし、最近、この作戦がなかなか効かなくなっているのである。「来週までに」という1週間の期限が、彼等には長すぎる。たった1週間の間に、やる気になって寂しさに翻弄され、すっかり意欲が無くなっていたりする。そこで、「明日までに」「明後日までに」とやっているうちに、だんだんとこっちが疲弊してくる。寂しさと闘う学生を見ている間に、こっちがすっかり厭世的になってしまい、世をはかなみ、寂しさにとらわれてしまうのだ。
最近、寂しさを前面に押し出して生きている学生を見ると「わしだって。おっさんだって、寂しいのよ」と声に出してしまいそうになる。ほんと、なめんなよ。だけど、大人だから「寂しい」なんて声には出さないし、そんな顔もしない。どうだ、えらいだろう!お前らも映画撮るときくらい、ちょっとは大人のふりをしやがれ!
植松さんとデザイナーのヤブウチさんがラインスタンプを作りました。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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都忘れ
植松さん、はじめてコメントします。
おっさんだって、寂しいのよ。
タイトルを見て、ハッとしました。
59歳で亡くなった父とダブってしまいました。
山男で、何でも知ってて、頼りになって、カッコよくて…と、身内を褒めるのは恥ずかしいけど、そんな父が大好きでした。
でも、父の年齢に近付くにつれて、本当は、すごく寂しかっただろうな~と、あらためて思うのです。
そして、それを誰にも言えなかったことを思うと、胸がしめつけられるような気持ちになります。
父の人生の光と影を想うと、自分が手にしている地味で小さな幸せを大切にしないのは、本物の「あほ」やと思います。
植松さんは、学生さんの前では言えなくても、どこかで、ちゃんと「おっさんだって、寂しいのよ」と、言って下さいね。
uematsu Post author
京都忘れさん
ほんとは誰だって、多かれ少なかれそうなんだろうな、という気がします。でも、こんなにもみんなが寂しい寂しいとつぶやいてる時代は、前代未聞かもしれません。
お父さんの時代は、それでもまだまだ寂しくないぞ!と見栄を晴れた時代なのもしれませんね。だとしたら、今の時代に生きる若人の方がもっと厳しいのかも。彼らを見てると、どうしてやればいいのか、途方に暮れることがあります。
なんだか、そんな狭間で「寂しくっても負けないぞ」と笑いつつ、弱音を吐ける相手には甘える所存です(笑)
Jane
植松さんの記事を読んで、日本でオンライン授業をとりながら、週6日バイトで生活費を稼いでいる我が子の「孤独」が心配になりました。でも、私がラインでいろいろ聞くとうざがられ、特に勉強のことをきくとまったくスルーされます。私が私の「孤独」をつぶやいてもすべてスルー。いろいろ友達を作るアイディアを提案したら、遊ぶ金も暇もない、こっちの現状も知らずにうるさい、とキレた返事がきました。親子のおしゃべりで孤独を紛らわすなんて、子供側から言ったら有り得ないんですね。もはやお互い自分で自分のことはどうにかするしかないと。
uematsu Post author
Janeさん
うちも大学生の息子がいますが、同じようなものですよ。
家族ラインも既読にしないように注意深く見ているし(笑)、
母親から問い合わせのメッセージが届くと、
「ねえちゃん、母ちゃんからこんなメッセージ来たけど、どういうことなの?」
なんて、先に姉に問い合わせてから母親に答えたりしているようだし。
正直、孤独に負けて学生生活が中途半端になる子は一定数いると思うのですが、
どこかで気付いて、軌道修正するような気がします。
自分の子どもの事になると、どうしても心配してしますけどね。
でも、逆ギレするってことはちゃんと親に反発してるってことだし、
ちゃんと成長してるってことかもしれませんよ。