モエレ沼公園の夕陽。
札幌に住む叔父が亡くなったという知らせは手紙で届いた。コロナ禍で一緒に住む家族も死に目に会えず、葬儀も身内だけで済ませた、という内容だった。電話で確認すると、仏壇を新たに購入したので近々お坊さんに来てもらって魂入れをするという。叔父は亡くなった父の弟で、父が病床に伏せってから何度も北海道から関西にまで来てくれた。そのことを思ったのか、老いた母も行きたいというので、思い切って急遽、札幌までの飛行機のチケットを取り魂入れに参列することにした。
叔父には何度も会っていたけれど、叔父の家を訪れたのは初めてだった。部屋の片隅に叔父の遺影と仮の位牌が置かれていた。叔父の遺影はとても穏やかに笑っているもので、生前の明るい人柄が思い出されてなにかこみ上げるものがあった。
魂入れも終わり、伯母や従姉妹と話していると、来てよかったという想いに満たされた。気落ちしていないかと心配して来たはずなのに、むしろこちらのことを気遣ってくれて、空港からの送り迎えや食事の段取りまですべてしてくれて恐縮するほどだった。
その日の札幌は地元の人も首をひねるくらいに暖かで、雪も降らず積もらず、着てきた厚着のコートが邪魔になるほどだった。ホテルの近くにあった北大や時計台などを少し回ったが、どこへ行っても「叔父さんもこのあたりに来たことがあったのかな」と考えてしまうのだった。
二泊三日の慌ただしい札幌だったが、最後の日に従姉妹が私たちを小樽に連れて行ってくれて、おいしいお寿司を御馳走してくれた。そして、空港へ向かう途中でモエレ沼公園に立ち寄らせてくれたのだった。モエレ沼公園はイサム・ノグチが設計した広大な公園で、行きたいと思っていた場所だった。
少し雨が降っていたので、屋根のある透明なガラス張りのピラミッド型の施設に入る。灰色の雲の間から沈みかけた陽の光が差し込み、人々が眩しそうに外の風景をガラス越しに眺めている。YouTuberらしき若者が係の人の目を盗んで、施設の床でブレイクダンスを踊っている動画を撮影している。カップルが腕を組みながら、イサム・ノグチの展示に見入っている。僕は一通り館内を見て回ると、公園内に作られた低い山を眺める。雨があがり、何人かの人がその山を登っていく。
父が亡くなる直前、病院に叔父が来てくれた。その時、父は叔父に「よく来てくれた」と礼を言ったあと、「お前のところはうまいこと子育てをした。僕は子育てを失敗した」と叔父に言った。そばに僕がいることはおそらく知っていたのだと思う。その時の叔父の困ったような苦笑する顔が忘れられない。さすがに仲の良い兄のいうことで、本人の僕の前で「失敗した」と言われても返事のしようもなかっただろう。僕は聞こえなかったふりをして窓の外を見た。あの時も薄日が病室の中に差していた気がする。
モエレ沼公園を後にしようとしたとき、きれいな夕陽が車窓を照らしていた。「子育てを失敗した」という父の言葉はあの日以来、僕の中で時々繰り返され、実家の仏壇に手を合わせる度に、「ごめんな」と謝るようになった。
叔父の死と、モエレ沼公園の夕陽と、そして、亡き父の言葉がいま僕の中でひとつの景色となりつつあるのだが、できれば近いうちにモエレ沼公園に出かけたいと思う。天気のいい日の午前中にあの低い山のてっぺんに立って、父にしっかり謝り、叔父にお礼を言いたいと思う。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
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Jane
いつもと少し違う感じの、静かに静かに細部を積み上げていくような語り口を堪能させていただきました….が、最後にどうして植松さんがお父様に謝りたいのかが、分かるような分からないような。
お父様の「子育てを失敗した」というセリフは、植松さんへ「お前の人生は失敗だ」と言っているように聞こえるけれども、実は「親の自分に責任がある」という植松さんへの謝罪の意味のほうが大きいと、植松さんは受け取られたのですか?だから植松さんからも「いやそれはこちらに責任があるんだよ。親不孝でごめんね」と謝るのですか?
私は自分の人生どちらかというと失敗だと思いますが、だからって親にそう言われたら、「失敗って、失礼じゃん。謝ってよ」とその場で即言いそう。
この辺が親子関係の違いでしょうか。
ちなみに、今子供に「親の育て方が悪かったからこうなった」と言われます。失敗したかもしれないけど「しょうがないじゃん」と言っています(私だって人間だからぁぁぁーと思いつつ)。
uematsu Post author
Janeさん
ま、人生いろいろですね、
といつもなら返すところなんですが、
なんとなくもう少し書き足しますね。
父がどう思っていたかなんて
本当のところはわかりません。
でも、「子育てに失敗した」と
死の間際に言ってしまったことは事実なわけで。
ずっと、まともに言葉を交わせなかった、
不器用な親子だったので、
その辺りについては、どちらも思うことはありますね。
だけど、やっぱり、死の間際に
そんなことを言わせてしまった、
という後悔はあります。
今の僕は、とか、あの頃のあなたは、とか、
そんな謝る謝らないではなく、
「父ちゃん、次はうまくやれると思うんだけど」
と言う感じのことを日々思うようになりました。
Jane
そうか、不器用な親子の関係性を築いてしまったことに対してなのですか….(というのは私の解釈で、植松さんがどう思っているかなんて本当は分からないけれど)。
私の父は数年前に亡くなりましたが、亡くなる二年前に帰省したきり、もうじき危なそうだから会いに来てと母から言われても行けず、死に目にも会えずに墓参りもしていないままです。20代後半くらいから、会話することもあまりありませんでした。いつも母を通して会話していた感じ。言ってみれば不器用な親子関係でした。
だからって謝ろうという素直さは私にはないのだけれど、最後に父と一番会話した時に、父の意見に反したことに関しては(それで喧嘩になったわけではないですが)、父の洞察力が正しかったと、心の中で父に何度か話しています。