スティービー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』
1976年にアメリカで発表されたスティービー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』は大ヒットを記録して、全米ヒットチャートを13週連続1位を独走したそうだ(Wikipediaによると)。しかも、その間にイーグルスのあの名盤『ホテル・カリフォルニア』が発売され、一度は首位を明け渡したのにもかかわらず再度第1位に返り咲いたそうだ(Wikipediaによると)。さらにしかも、このアルバムは当時LP2枚組に4曲入りのEPがついた大作だったそうだ(えっと、これはWikipediaではなく自分で持っていたので知っていた)。このアルバムには『愛するデューク』『可愛いアイシャ』など、いまもCMなどに使用されている曲が多数収録されていて、4曲がシングルカットされそのうち2曲が全米1位を記録している。もちろん、グラミー賞を4部門受賞するなど評価も高い。
そして、僕がこのアルバムを買ったのは中学三年生の頃だったと思う。当時流行っていたFM雑誌があり、中高生はFM放送や短波放送を聞いて受信報告書なるものを放送局に送っていたのだった。そうすると、放送局からベリカードという受信を認めましたというハガキが届く。このハガキを集めることがBCLと呼ばれて大流行していたのだった。そして、技術寄りのマニアはラジオ技術などの雑誌を買い、コンテンツ重視のファンはFM雑誌を買っていた。そのFM雑誌に毎号のように取りあげられていたのが、スティービー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』だった。それこそ、アメリカで発表される前から噂が取りあげられ、アメリカでの発売、日本での発売、そして世界からのレビューが取りあげられていた。
これだけ注目されるアルバムなら、買っても損はないだろうと、僕は中学三年生の正月にお年玉を集めて買ったのだ。忘れもしない正月の三日。近所のレコード屋は子どもたちのお年玉目当てに店を開けていた。そこに飛び込んで、このアルバムを買ったのだ。家に帰って、興奮しながらアルバムに針を落とすと、スティービーのハミングから始まる曲が聞こえてきた。僕は初めて聞く曲なのに心を奪われてしまい、じっと聞き入った。次々と聞いたこともないようなテンポで僕の狭い和室の三畳間が満たされ、時折、弟や父が怪訝な顔をして部屋をのぞきこみ、黙って出て行った。また、僕がわけのわからないものを聞いているぞ、という顔だった。2枚組LPと1枚のEPを聞き終わると2時間近くの時間が経っていたと思う。僕はすっかりやられてしまい、FM雑誌でスティービー・ワンダーの年齢を調べたのだ。スティービー・ワンダーは26歳だったのだ。26歳で『キー・オブ・ライフ』を作ったのだ。
26歳という年齢が深く刻印されてしまった僕は、それから心惹かれる映画や音楽や小説に出会う度に、作り手がいったい何歳でそれを生み出したのか、ということが気になって仕方がなくなったのだった。同時に、26歳までに何かをなし得なければ、という焦りを強く感じたのだった。結局、26歳の時にはただアルバイトをしているだけのうだつの上がらない人だったわけだけれど。
ことさらソウルミュージックが好きだとか、スティービー・ワンダーが好きだというわけではなく、僕はスティービー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』というアルバムが好きなのだと思う。そして、毎年年末になると、「今度のお年玉で『キー・オブ・ライフ』を買うぞ」と決めていた、あのワクワクした気持ちを思い出す。もちろん、いまも。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
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