映画やるならもぎりまで。
僕は高校を卒業すると大阪の映画学校に入学した。映画監督になりたかったのだ。高校生の頃は毎日のように映画館で映画を見ていたのだが、どうしても作る側に回りたいと無謀な夢を抱いてしまったのだ。すると、その学校には高林陽一という映画監督がいた。高林監督は『本陣殺人事件』や『金閣寺』など評価の高い映画作品を世の中に送り出していた。
僕は生まれてはじめて現役の映画監督と直接話しをする機会を得て、いったい映画監督という人種はどんなことを話すのだろうと緊張していた。緊張しながら高林監督の話を聞いていたのだが、正直、緊張しすぎて何を話しているのかほとんどわからなかった。わからなかったのだが、最後の最後、彼は「植松くん、映画やるならもぎりまで、やで」と言ったのである。
映画をやるなら、必死で作って、必死で完成させて、それを必死で見てもらわなければならない、という話しだった。
ついこの間、僕が卒業した映画学校の卒業制作の上映会があった。映画館を借りて、ちゃんとした上映会を開くのだが、先日はなかなかひどかった。映画館に上映作品の作者が来ないのだ。全員ではないのだが、何人かの作者が上映会場に来ない。スタッフたちもこない。なんなら、先生や学校関係者もほとんどこない。
そんな人のいない寂しい映画館の暗闇のシートに身を埋めながら、僕は高林監督の話を思い出していた。映画やるならもぎりまで。だとしたら、これは由々しき事態だ。コロナ禍といえどもひどすぎる。そして、YouTube全盛の小さなデバイスで見たっていいじゃないという時代になったとしてもひどすぎる。
あんまりひどすぎて、卒業式の挨拶で、「君たちはあんまりだ」と言ってしまったほどだ。映画やるならもぎりまで。僕自身も若い頃にはあまりピンときていなかった気がするのだけれど、今になるとその言葉の重みがわかるのだ。そうか、若い奴らがわからないだろうな、と思いつつも苦言を呈し続けなければならない年齢になったのか。そうか。なるほど。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
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