『映画を早送りで観る人たち』を読んでしまったのだ。
話題になっている新書『映画を早送りで観る人たち』を読んでみた。というか、読んでしまった。映画などの映像作品の学校で教えている身としては、そこそこ恐ろしい内容だ。
ちょっと乱暴なのだけれど、めちゃくちゃ簡単に要約してしまうと、いまの世の中には映像作品に間など求めていない、という話である。ざっくりと内容がわかればそれでいい。だから、2倍速でみることもOKだし、10秒飛ばしでみることもOKだ。
もちろん、長年、映画を楽しみ、映画作りとはなんて偉そうに話してきた身からすれば、呆然唖然である。しかし、この本になかで著者はそのあたりを丁寧に解説する。いわく、いまの若者たちは子どもの頃から常に意見を求められ続けている。そして、世の中にどう貢献するのか、などという漠然としたことを就活の最中に、そんなことを考えたこともない担当者から聞かれ続ける。しかも、失われた30年を経て、彼らには金がない。実家からの仕送りも極端に減っている。だから、バイトをする。僕らの頃のように、スキーに行くため、海外に行くためにバイトをしている学生なんていない。みんな生活のために必死でバイトをしているのだ。
つまり、彼らには時間も無ければお金もない。ただただ、社会貢献などという言葉に瞬時に答えなければならないという同調圧力がある。ストレスだけの暮らしの中で彼らはあがいている。いやまあ、それは僕も同じなのだが…。
そこへコロナ禍。そこへ動画の配信サービス。低価格で見ることができる配信の映画やドラマは彼らの唯一と言っていい娯楽だ。SNSでの口コミレビューの拡散と、安い配信サービス。これもやがて彼らへのプレッシャーとなり、「評判のいいものは観なきゃいけない」となる。しかし、時間がない。だったら倍速視聴だ。10秒飛ばしだ。もちろん、本の中ではもう少し分厚い深い解説があり、いちいち納得させられた。
で、困っているのである。実は僕も同じようなことをしてしまうのだ。倍速視聴はしなくても、「おもしろいよ」と進められたドラマを見始めて、「なんかつまんないなあ」と言われると、つい10秒スキップのボタンを押してしまうのだ。「いや、いかん」ともう一度10秒戻るボタンを押すのだが、もうその時点で作品の真の評価はできないことになる。途中でいったん進めたり、戻ったりしているんだから。
そこで、もう一度、アタマから見始める。見始めるけれどやっぱりイライラしてくる。そこで、この本を読むと「いまのZ世代は」とか書いてあるのだけれど、「いや、今年還暦の俺もなんだけど」と困ってしまうのだ。
もちろん、映画館で映画をじっくり見たり、楽しみにしていた配信作品をプロジェクターで見る時には飛ばして見たりはしない。ただただじっと画面を見つめている。そして、「ああ、集中して見てこそ映画だなあ」と思うのである。つまり、そう思うのに、忙しい最中に配信で作品を観るという行為の難しさについて知ってしまったのである。
同書によるとラノベのラブコメの読者はほぼ100%男性らしい。そして、彼らは恋愛の細かなディテールを求めないという。少女漫画1話分をラノベは5行で記述するらしい。そうなると最初から倍速視聴をしているようなものだ。なかには、最初からレビューを読み、全体を知ってしまってから読み始めるという強者も多いという。理由は「外したくないから」。わかる。配信のドラマが面白いと言われても、2シーズン20数話をこれから見るのか、と思うと「面白くなかったらどうしよう」と僕でも思う。ま、僕の場合は1話2話見て、面白くなければそのまま見なくなるので、まず全体を把握しようとは思わない。ただ、彼らは「面白いから見て」という圧力には逆らえない。「見なければ」というプレッシャーもあるから、全体を把握した上で面白いと言われたところだけをみるという荒技も存在する。
いやもう、恐ろしい。そんな人たちが大量に登場していると言われたら、これからどうやって映像作品の作り方を教えればいいのだろう。そりゃ、言うこときかんわなあ、と思う。そして、彼らと同じように、時おりイライラしながら10秒スキップボタンを押してしまう自分自身が恐ろしい。還暦を迎えるというのに、なにをイライラしているのだろう。いや、そんな歳になってしまったからこそ、イライラしているのだろうか。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
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Jane
そんな本が話題になっているとは知りませんでしたが、つい先日、日本のアニメ映画好きのアメリカ人の高校生と映画の「間」について話したところでした。その男子は「日本の映画は話がなくてつまらない」と言うのです…、話がないわけじゃないのですが、風景に託した心情描写などが淡々と続くと飛ばして、話の動く盛り上がりどころだけつまんで結末を早く知りたくなってしまうのも事実。そしてどうしてそんな話をしたかと言うと、私と彼が偶然同じ映画を観たものの、彼はちょっと観てつまらないからと観るのをやめ、私は思いきり飛ばしながら観ているからなんです。
今の若者が面している状況も、本に書かれていることは当たっているんでしょうね。大学生の我が子は、大学に入るにも寮に入るにも面接やエッセイで「あなたは社会とこの大学・寮に何を貢献できるか」と聞かれ続け、考えてもいなかったことをひねり出し、生活の為に必死にバイトし、コロナ禍のオンライン授業は1.5倍速で聞いていました。それが映画を飛ばしてみることにどう関係するのか、っていうと、だらだらと時間を過ごす中で何となく良かった感じることを大切にする余裕がなくなり、はっきりと形に、言葉にできる利益を求められることに適応してきた結果、プロセスより結果を早く示せ、細部より要点、という思考になってくるのかと思います。
でも、じゃあ、若者でもなく、映画の評判も流行も知らず、同調圧力も感じてない私がなぜ映画を早送りしているかというとですね。長引くコロナの影響もあるのかなあ。自分がすべてのことにせっかちに、イライラしやすくなっているのも自覚していますし、映画観ている場合じゃない、もっと生産的なことに時間を使えよ自分、という罪悪感もあります。そうです、映画館に行って映画を観ると、いい時間の過ごし方をした気がするのに、家でNetflixで観ていると、時間つぶしをしている気がするのです。
それはあたかも高級レストランで周りの雰囲気も味わいながらゆっくり食べるのと、バイキングであれこれ目移りしながら食べられるより多く皿にとってきてしまい、一口食べておいしくなければ食べきらずにほかに行くような違い。あるいは、同じ料理でもテイクアウトしてきて家で食べると、サービスされるのを待つこともなく、さっさと食べられちゃうのも時間の節約になる反面、特別感を伴わないようなものなのですかね。…などなどと、考えさせられました。
uematsu Post author
Janeさん
アメリカの高校生が見た日本映画ってなんだったんでしょうね。
例えば、『ドライブ・マイ・カー』を見ても「話がない」となるのかなあ。
以前、『鬼滅の刃』を見た時に「ぜんぶ喋るがな」と呆然としました。
敵を倒すときに主人公が、「妹がこうなったのもお前たちのせいで、それを救うためにも俺は今、を前を倒すためにこうして立ち向かっているのだ」という心情を全部話しながら走って行く。
そりゃ、子どもにもわかるし、途中から見てもわかるし、と思いました。
でもなあ、そんな「馬鹿にものを言う」みたいな作品、みたくねえや!と思ったのでした。
みんな急がしくて、余裕がないのかもしれませんね。
いやもう、僕も含めて。
だからこそ僕は映画館でじっくりみないと集中できなくなっているのですが、
若い人たちは集中して見れなくても平気になっているのかもしれません。
そういえば、映画館に来る観客の平均年齢も上がっていますからね。
kokomo
植松さん、早送りして映画やドラマを見ることについて意見をお伺いしたいと思っていたところでした。
音楽系のyoutubeを見ていたところ、音楽も同様の傾向で、イントロがない楽曲が増えているそうです。しょっぱなで心をぐっとつかまないと曲を通して聞いてもらえないようなので、ボーカルからガツンと始まる曲が多くなっているとのこと。
私は早送りこそあまりしないものの、作品の評価をFilmarksなどのサイトでチェックしてあまりにも評価が低いものは避けたりしているので、「外して時間を無駄にしたくない」という思いはは老若関係ないのでしょうね。
先日配信でアニメの「どろろ」を視聴したのですが、大昔に読んだコミックの印象とは大分違っていることに戸惑いました。全話視聴後も違和感の正体が掴めなかったのですが、Janeさんへの植松さんのコメント返信を読んで膝を打ちました。全部説明しちゃっているんです。主人公もナレーションもしゃべるしゃべる….。コミックとアニメという根本的な媒体の違いというのはあるにせよ、手塚治虫の原作には余白があって、そこに私たちは夢中になったはず。しかし、娘は「いちいち考えなくていいから説明があった方がいい」って言っているので、これは世代の違いでしょうか。
映画も、後々の配信を考慮に入れた作品と、劇場公開に特化または注力した作品とに傾向が二極化していくのかもしれませんね。
uematsu Post author
kokomoさん
そうなんですよね。
でも、娘さんの「考えなくていい」というのは、学生からもよく聞く声です。
ある意味、エンタテインメントのひとつの王道かも知れせんね。
そう考えると、エンタテインメントの幅が狭くなっている気がしますね。
うちの学校でも、校長が言うエンタメは、気軽に楽しめる誰もが参加できるエンタメですから。