映画を観ずに映画を作る人たち。
映画を作る学校にいて、映画を作りたいという学生たちと時間を過ごすことが多い。しかし、彼らの多くは映画をほとんど観ていない。見ているという学生も自分が好きな映画を月に何本か観ている程度で、いわゆるシネフィルと言われるような映画が大好きだ、という学生は皆無だ。
そんな中でテレビ番組からミュージックビデオなども含めて映像制作を教える。しかし、実際に企画を出させると「映画が撮りたい」という希望が意外に多い。多いのだけれど、実際にどんな映画を撮りたいのかという企画を出させると、ほとんどが説明過剰な2時間ドラマの喧嘩シーンだけ、または男女の恋愛シーンだけ、というような内容を提示してくる。
もちろん、最初はそれでいいのだけれど、そこから先がなかなか進まない。まず、映画を観ていないから共通のイメージが持てない。昔なら、映画好きなら必ず見てる名作があり、カメラマンと監督が「ここはゴッドファーザーのドン・コルレオーネが暗殺されるシーンでいこう」なんて言えば、あっと言う間にイメージを共有出来た。しかし、いまは、「ほら、あの映画のあの場面みたいに」という話をしようとすると、まずその映画の予告編をYouTubeで探し、「ほら、こんな感じのカット割りで」なんて話し出すのだけれど、学生の方は映画全体を見ていないので、なんとなく「はい、そうですね」とは言っているものの、モヤッとしたままだ。
結果、専門学校2年間を過ごしたあと、「映画は僕には無理ですね」と諦める学生や、「映画って面白いんですね」と今さらな学生が散見され、昔なら学校に入る前に確認するようなことに、卒業間際に気づくという有様。
もちろん、学校も「誰だってエンタメの現場で活躍できるよ!」と呼びかけているので、それにのせられてやってくる学生は多いし、正直、作品をしっかり作らなくても先生たちに踊らされていれば楽しく卒業出来る。でもなあ、物づくりってそんなもんじゃないはずなのだけれど。
「映画を早送りで観る人たち」の感想を書いた時にも思ったのだけれど、これから先、映画などや音楽、絵画などの「表現」はエンタメという気持ちの悪い言葉とともに二極分化してくのだと思う。
音楽なら、普及したパソコンやタブレットを作って、年齢に関係なく自分自身の音楽を生み出して行く人たちと、「ここのボタンを押せばあなたのオリジナル曲が出来上がります」というお手軽創造物を楽しむ人。自分自身で絵描き上げる人と、大人の塗り絵を楽しむ人。
正直、どちらもあっていいと思う。けれど、物づくりを教える学校で塗り絵だけを教えるなんて気が狂っている。そして、そんな気が狂っている教育現場が日に日に増えているのは事実なのだ。
大人の先生の考えた振り付けを必死で覚えて、全国大会に挑む高校のダンス部のメンバー達がその結果に一喜一憂して涙している様子をテレビで見ると、大きな違和感を持ってしまう。下手でもいいから、子どもたちに振り付けを考えさせなければ、それはただのとても激しくよく出来た塗り絵に過ぎないのではないかと。もちろん、よく出来た塗り絵にするためにも才能は必要なのだけれど。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
ことぶ
最後のダンスの件、とても共感します。
大人、とくに顧問の先生が押しつけているのがわかると、なんだか顧問の先生の自己満足な気がして気持ち悪いです。
uematsu Post author
ことぶさん
正直、塗り絵をたくさん用意したり、虫食い式の課題をやらせたりすると、学生はすごく喜ぶんです。
でもなあ、それじやあなあ、と毎日思っています。