背中がかゆいのよ。
over40という名のサイトに寄稿するようになって長い、というお話しは先日書いたような気がする。ああ、記憶が曖昧だ。書いてなかったもしれないが、そこそこ長い時間がたった。50代の初めだった僕は今年還暦を迎える。60歳だ。ああ、驚いた。人って60歳になるんだ。10代の頃、なんとなく「30歳まで生きちゃいないぜ」なんてアメリカンニューシネマのヒーローのようにうそぶいていたのが恥ずかしい。
で、これも前に書いたかもしれないけれど、世の中はもうすっかりサブスクなので、何をするにもお金を払い続けなきゃいけない。音楽を聞くのもCDじゃなくてAppleMusicとの契約なので、Appleにお金を払えなくなったら、もう音楽は手元には残らない。昔、購入済みのCDはあるのでこれは聞けるけれど、最近好きになった曲は聴けなくなる。
本も最近はすぐに古くなるビジネス書や雑誌などの類いはAmazonのサブスクで読んだりしている。これも、いまは「あれはなんて書いてあっただろう」と言うときにすぐ調べられるけれど、契約を辞めたら調べることもできない。まあ、こちらは図書館にいけばなんとかなるのか。
そんなことを考えていると、歳をとることの不便というか寂しさというのは将来金を持っているかどうかで大きく異なるってことに気がついた。気付きました。いえ、嘘です。前から知ってたけど知らないふりをしていました。なにしろ、僕の場合は会社経営というものには根っから才能が無く、辞めどきがわからず、すっかりお金もない感じで還暦を迎えようとしている。ま、人間いくつになっても、そこそこ出来る人と思われたいので、ちょっと嘘をついてしまったということで。許してください。
さて、老後の資金がたっぷりないと、音楽も聴けなくなるかもしれない。本も読めなくなるかもしれない。あ、そうそう。映画だって会員制の配信で見ることが増えているから、これも見れなくなる。ああ、大変だ。
そんなことを考えていたときに、背中がかゆくなったのです。ちょうど指の届かない背中のど真ん中あたり。少し、かゆいというのではなく、そこそこピンポイントでかゆい。で、実家にいたので孫の手的なものをさがしたのだけれど見つからない。仕方がないから、シャツをめくって、柱に背中を押し当てて、間寛平ちゃんのように「かい〜の」みたいに背中を上下に動かして背中をかいていたのだった。すると、それを見たヨメが、「なにしてんの」と呆れたような軽蔑したような顔をして近づいてきて、背中をかいてくれたのだ。
ああ、ありがたい。心のそこから僕は感謝したのだ。こんな稼ぎの薄い、なんの取り柄もない男の背中をかいてくれる人がいるなんて。しかも、この人は月々いくら払えなんてサブスクみたいなことは言わない。もちろん、飯は食うけれども、それもほとんど自分で作って、なんなら僕にも食べさせてくれる。それで、背中までかいてくれるなんて。
いや、もちろん、背中をかくためにいるなんて大それたことは思っちゃいません。ほんとにありがたいなあと感謝しているのです。ああ、でも、ヨメだっていつまでもいるわけじゃない。いつまでも背中をかいてもらえるわけじゃない。なんか、そんなことを思って、ふと実家の二階で布団並べて寝ているヨメを見たわけですよ。僕がテレビを見ながら屁などしている間に、すっかり眠り込んだヨメの、ここしばらくなんだか大きくなったなあ、という身体をぼんやり見つめておったわけですよ。すると、ヨメがくるりと寝返りを打ちましてね。ムニャムニャ言いながら、うつ伏せになったわけです。
僕はそんなこんもりと分厚くなったヨメの背中のほうに近づいて、僕がかいてもらったあたり。ヨメの背中のちょうど真ん中あたりをゆっくりかいてあげたのです。まあ、かいーのかどうかは知らないけれど。すると、ヨメがふいに目を醒まし、こっちを向いて「なにしてんの?」と眠りを邪魔された感じなのか、怖い顔をするのです。
こっちは夜の夜中になんだか楽しくなっちゃって、「なんでもねーよ」と笑って灯りを消すのでありました。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。