映画『野いちご』を見た夜のこと。
中学生の頃、テレビの映画番組で映画を見始めた。1970年代のあの頃は、ほぼ毎日ゴールデンタイムに映画を見せる番組をやっていて、公開されてから1年〜2年で映画が放送されるという流れがルーチンだった。たぶん、映画が斜陽になっていて動員数だけでは稼げないので、テレビに放映権を売るというのも収入の一部として計算されていたのだろう。
人気のスターが出ている映画や、名作と誉れ高い映画を見ると、翌日友だちとその映画について話すというのが楽しかった。その中に、妙な映画ばかり見る友人がいた。その友人だけ見ている番組が違うのだ。僕らは月曜ロードショーや日曜洋画劇場を見ているのに、そいつはNHKの名作映画劇場のようなものばかりを見ていた。
ある日、そいつが「今日は『野いちご』の放送がある」と呟いたのだ。僕が「野いちご?」と聞き返すと、「ベルイマンの『野いちご』やで。名作やで」と言うのだ。僕が「おもしろいの?」と聞くと、そいつは「見たことがないからわからん」と答えるのだった。
見たことがないのに、名作かどうかもわからないと思うのだが、そいつ曰く、「世の中の映画好きが名作やというてるし、作られてから何十年も経ってるのにNHKが放送しようかっていうんやから、名作やろ。ま、名作にはわからん映画も多いけど、まあ、なんかあるんやろ」と。
僕はそいつの「まあ、なんかあるんやろ」という言葉が引っかかり、その夜、『野いちご』を見た。家族揃って見るテレビは居間にあって、僕が映画をみるのは決まって誰もいない台所の片隅だった。そこには14インチくらいの小さな白黒のテレビがあって、僕はそのテレビを食い入るように見ていた。
ベルイマンの『野いちご』は美術にサルバドール・ダリが参加したシュールレアリズムの傑作と言われている作品で、主人公の老人の心象風景がシュールな映像で描かれていく。正直なところ、中学生だった僕にすべてがわかったかと言われると、意味不明なセリフや場面転換も多かった。しかし、友人が言ったように、そこには何かがあった。確かに、よくわからないけれど、こちらの気持ちを揺する何かがあった。その何かを探ろうとすると映画は逃げていくのだが、揺すられるままにぼんやり眺めていると、『野いちご』という映画は誰かの夢をぼんやり眺めているようで面白い。と、当時の僕はぼんやりと思っていた。
あの日の夜、小さな白黒テレビで『野いちご』を見てから、僕はずっとあの時友人が言った「まあ、なんかあるやろ」という言葉を折にふれて思い出している。
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植松眞人事務所
植松眞人(うえまつまさと): 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。