夢の映画。
映画館から人が消えている。流行のアニメやヒーローものでさえ、映画館で見るよりも配信されるのを待つという人が増えていて、映画館からは確実に人が減っている。
いろんな理由があって、経済的な理由で映画代なんてもったいない、という声も聞く。なかには2時間も拘束されるのが耐えられない、という若い人もいる。どちらの気持ちもわからなくはない。けれど、昨今の映画人口の激減ぶりはもっと根本的な問題だろうと思う。
たぶん、映画は終わっているのだ。映画館は減っていてもスクリーン数はそこそこある。しかし、スクリーン数があるからと言って、そこで見たい映画がかかっているわけでもない。シネコン形式は「流行っている映画を効率よく回すための手段」であることには間違いはない。多様な種類の映画を広く多くの人に見せるための方式では決してない。
映画を見て(ポジティブでもネガティブでも)何らかの新しい価値観に出会い、(絶望でも希望でも)心揺さぶられながら映画館を出る。という経験がもはや望めなくなっている。僕たちが夢見た映画はもうそこにはない。良い映画を地道に上映し、映画を通じて語り合えるような常連客を増やしていきたい、と考えるようなミニシアターが次々と終焉を迎えていることからもそれは明らかだ。
映画は、映画を終わらせないようにと繰り出してきた、あの手この手によって、終わろうとしている。ジェットコースターのような刺激だけを与える映画なんて、一度見たら二度と見ない。人の業の深さ、欲深さをこれでもかと見つめてきた映画だからこそ、映画は僕たちの心の奥底に降りてきて、生きている間、ずっと僕たちのそばにいるような夢の映画になってきたのだ。
映画はつくる者にとっても見る者にとっても、夢だった。つくる者を勇気づけ人生を変えるような映画があり、見る者の背中をそっと後押ししてくれるような映画があった。
皆無ではない。まだ、そんな映画はある。数は少なくなったけれど、まだある。あるけれど、ミニシアターの終焉がそんな映画との出会いをさらに難しくしていくだろう。そして、ひと目に触れなくなった夢の映画は、さらに作られることが減っていく。
しかし、夢の映画を諦めることはできない。つくることで勇気づけられ、見ることでそっと後押ししてくれるようなそんな夢の映画を。
植松さんのウェブサイトはこちらです。お問合せやご依頼は下記からどうぞ。
植松眞人事務所
植松眞人(うえまつまさと): 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。現在はコピーライターと大阪ビジュアルアーツ専門学校の講師をしています。東京と大阪を行ったり来たりする生活を楽しんでいます。
Jane
全文、そうだろうなあーと思いながら読みました。配信で家で個人或いは家族で観るような形を通して、夢の映画が生き残っていくということはできるのでしょうかね。
uematsu Post author
Janeさん
家族で、個人で、ということはあるでしょうね。
でも、なんとなくだけど、映画は赤の他人が同じ空間で同じ時間を共有しながら見る、
というところが最低限の条件なのかも、という気がしてきました。最近。
ただ、新しいライフスタイルにあった夢の映画を
新しい世代が夢見て作っていくんでしょうね。
なな
うちの高2の息子は映画好きで、気になる作品は劇場で絶対観たい派です。
ふだんは坂道アイドルの推し活にも熱心な普通のZ世代です。
最近家庭で古い映画も見放題で観られることで、新旧たくさんの映画を観ています。
この前「七人の侍」を観て黒澤作品にハマり、「蜘蛛巣城」が映画館で上映されてるという情報を知り、一人で行ってました。
セリフは自分には難しいけども、劇場で観られて本当に良かったと。
自分の感動を分かち合いたかった。でも劇場にいた人はオジサン、ほぼお爺さんだから話しかけられない、残念だと。
若い人いないかなあと嘆いていました。
少数なんですよねやはり。
uematsu Post author
ななさん
息子さん、ぜひ、映画の世界へ(笑)。
確かに、若い人は映画館に足を
運ばなくなっていますね。
僕も『蜘蛛巣城』を見に行きましたが
確かに高校生はいませんでした(泣)。
テレビで映画の番組がなくなったのと、
いわゆる名画座がなくなったことで、
古くていい映画に触れるチャンスが
極端に減ったのが原因かも。
配信をテレビで見るのは、
やっぱりちょっと違うんですよねえ。
アメちゃん
uematsuさん。
私個人的には、雑誌の「ぴあ」が廃刊になったことが大きいです。
当時は、ぴあが発売されたらさっそく買って帰って
サインペンを片手に映画のページをチェックしてました。
シネマヴェリテとか大毎地下とか、
毎日文化ホールって名前だったかな?
パイプ椅子だけど、2本立てを五百円で観られてたから
よく行きました。
入れ替え制じゃなかったから同じ映画をもう一回観たりも。
雑誌だと、思いがけないところでの上映を見つけられる・・
という利点が大きかったと思いますね。
uematsu Post author
アメちゃんさん
懐かしいですね。
大毎地下劇場と毎日文化ホールは
映画の学校の近くだったので、
本当に浴びるように映画を見てました。
ちなみに僕はぴあよりも、プガジャ派でした(笑)