<第2回> クリエイティブな共依存もある?
<カリーナからYUKKEさんへのメール>
人生フルーツを見てからYUKKEさんのことをしばしば考えました。
人生フルーツの津端ご夫妻を「丁寧な暮らし」というのは、確かにその通りで決して間違っていないのだけど、「丁寧な暮らし」といわれるものの幅は広くて、「暮らしのおへそ」に載っている人たちとか(そこにも、さまざまな人たちがいる)、そういった人たちも含まれます。でも、私が津端さんご夫妻に感じたことは、ちょっと違う質感でした。
もっと、なんというかキビキビしているというか。かいがいしい。修一さんのほうに「人生を賭した作品を作っているんだ」という意志があるせいか、丁寧なんて生ぬるいもんじゃない、と感じました。
なんかもっと意志的で、それを夫婦が言葉にせずとも理解しあって体を動かすうちに明朗さをともない、かわいさ(アクセントの黄色やイラストなど)を付与していったような感じがしました。
でもこれは、そういう「手作りの暮らし」が不得意な私だからそう思うのであってYUKKEさんから見たら、まったく違うのかな?すごく身近なのかな?とそういうこともうかがいたいと思いました。
話がとびますが、YUKKEさんが八ヶ岳での記録をずっとつけていたというブログの記事を拝見して、「ああ、そんなに早くからこの別荘で過ごしておられたのか!」と驚きました。
YUKKEさんが書きためた「八ヶ岳日記」
YUKKEさんが武田百合子がお好きだということも知っていたので別荘(山小屋と呼んでらっしゃいますね)での暮らしに武田百合子を想起することもあったのではないかと思います。
実は、津端夫妻と武田泰淳&百合子夫妻はその人柄や立脚点はまったく異なりますが、どことなく「共依存」を感じさせるところにちょっとした共通点を感じています。
「共依存」というと悪いイメージがありますが、「夫婦がある種、世間に背中を向けつつ、独自の(創造的な)世界を作る場合にはとても有効な関係なんじゃないか」と思ってきました。
武田百合子は、ロシア旅行ではワインを探し回るなど武田泰淳のアルコールへの依存をかばい、重症化させるような行動ばかりをとりますが、その行動以外に武田泰淳を幸福にする道はなかったように思われるのです。
何が言いたいかというと(笑)、夫婦の関係というのはいろいろだなあと思うし、そして、共依存的な関係が濃密な老後を作るのではないかと思うのです。
YUKKEさんは、夫婦関係も含めてこんな老後にしたいというイメージはおありですか。
ご主人があと1年でリタイアされると書かれていました。「老後」はそこからのイメージですか。
津端家の魅力の「旗印」は黄色いボードとイラストと文章。あのキュートさの有無は、老いた人たちを魅力的に見せる際、すごく重要ですね。キュートであること。自らをかわいらしいキャラに転嫁させること…。お時間のあるときにお返事ください。