虹の橋と永遠の命 ~パロンちゃん追悼号~
皆さんこんにちは!ふぇんふぇんです。
連日真夏日が訪れちゃってますよねー。皆さんへばったりしていませんか?
私は夏LOVERなので、何気にテンションあがってきてますよー!
さて、今週は「犬連れキャンプ」についてお届けする予定でしたが、
皆様もご存じだとは思いますが、
先日カリーナさんの愛犬パロンちゃんが虹の橋に旅立ちました。
実は、この犬バカコラムの隠れた産みの親はパロンちゃんなんです。
最初私にお話が来たのは「海外コラム」だったんですが、
「もう海外から帰ってきて長いし、今の私にはとても書けませーん。
今自信持ってお届けできるのは、犬バカコラムぐらいですかねー?」
とお返事したら、「あ、それおもしろい!お願いしまーす!」ということで始まりました。
こんな流れになったのも、カリーナさんも私に負けず劣らず、
パロンちゃんの飼い主さんとしてご立派な「犬バカさん」だったから。
そうじゃなかったら、「犬の話題…?! そんなのは書いて頂かなくて結構ですのよ、おほほ」
となっていたかもしれません。
だから、パロンちゃんはこの犬バカコラムの「産みの親」といっても過言ではないのです。
なので、今回は急遽「パロンちゃん追悼号」ということで、
私が愛犬との別れについて日頃思っていることや、昔一緒に暮らしていた先代犬のことなど、
普段だったらおそらく書くことはないであろうことについて書いてみたいと思います。
(↑ カリーナさんいいですか?勝手に予定変更してごめんなちゃい…)
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さて、まずここまで読んで、「虹の橋」とは何ぞや?と思われた方もいるのでは?
これは、犬や猫の飼い主の間では結構有名な詩(「Rainbow Bridge」作者不明)で、
アメリカから世界中に広まったといわれています。
<要約>Wikipedia:「虹の橋(詞)」より
- この世を去ったペットたちは、天国の手前の緑の草原に行く。
食べ物も水も用意された暖かい場所で、
老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る。
しかしたった一つ気がかりなのが、残してきた大好きな飼い主のことである。
- 一匹のペットの目に、草原に向かってくる人影が映る。
懐かしいその姿を認めるなり、そのペットは喜びにうち震え、
仲間から離れて全力で駆けていきその人に飛びついて顔中にキスをする。
- 死んでしまった飼い主=あなたは、こうしてペットと再会し、一緒に虹の橋を渡っていく。
この詩によると、ペットは虹の橋を「渡らず」に、たもとで飼い主を待っていることになっています。
でも愛すべき犬バカさん達の中には、
「私をずっと待ってるなんて可哀想。待ってなくていいから早く虹の橋を渡ってほしい」
という声もチラホラあります。
ただしこれには、虹の橋周辺は時間の流れがこちらと比べて非常にゆっくりなので、
待ち時間はほんの数日程度、という解釈がつけられていて、犬バカさん達を安心させてくれます。
私は普段はこういうスピリチュアル系?のようなお話は、あんまり信じないタイプなのですが、
虹の橋に関しては、「そうだったらいいな~」と素直に思っています。
(↑つまりガッツリ信じています。犬バカの前では論理など吹き飛ぶのです。笑)
それに最近よく思うのですが、もし将来バトーが虹の橋で私を待っていてくれるとしたら、
いつか自分が死ぬとき、ちょっと「バトーに会える」という楽しみがあるな~って。
死への恐怖がほんのちょっぴりでも軽減されるかもしれません。
そう思うと、犬(ペット)ってとっても親孝行なんだなー、と思うのです。
もちろん、そこへ至るまでの会えない時間は、限りなく寂しくって切ないのですが。
犬の寿命はどんなに長くても20年以下、15歳でなかなかのご長寿と言われるくらいです。
どうしても人間は犬を見送ることになる訳ですから、
一度愛犬のお見送りを経験した人達は、
「お別れの辛さを考えると二度と犬は飼いたくない」ので次の犬は迎えない派と、
「もう犬無しの生活は考えられない」のでしばらくしたら次の犬を迎える派に、
分かれると思います。
私もバトーがいなくなってしまったら、その時どう思うかはまだ分かりませんが、
私には小学生の時から大学生まで、実家で一緒に暮らした柴犬サムという犬がいました。
家族で可愛がって飼ってはいましたが、なにせもう30年以上前ですから、
サムは玄関の外の犬小屋で暮らしていて、シャンプーは夏に水道水と牛乳石鹸で数回、
爪切りも肛門腺絞りも、もちろん歯磨きもした記憶もなく、
ご飯もビタワン(ドッグフード)ばかりでした。
なのでバトーとサムの暮らしは直接比べることも難しいくらいなのですが、
昔サムで苦労したことは、バトーへの子育てに確実に反映させていました。
例えば、サムは一度フードボールに入れたご飯をちょっとでも触ると唸っていたので、
バトーはそういうことで苦労しないように、子犬時代は食べてるときに頭をなでたり、
フードボールをちょっとずつ回しながら食べさせてたりしました。
後は、バトーに色々してあげたり、私が犬に関する新しい知識を得たりするたびに、
「あー、何も知らなくてサムに悪かったなー」とか「サムにもしてあげたかったなー」と
思う私がいます。
そしてそう思うたびに、
「サムは私の中でまだ確実に『生きてる』んだなー」と感じます。
私が生きていて、サムの事が心にある限り生きてるんだなーって。
犬の命は人間よりもずっと短いけれど、飼い主が生きている限りずっと「生き続ける」、
それが愛犬の「永遠の命」、ということなのかもしれませんね。
バトーはいつかきっと、虹の橋のたもとで私を待っていてくれると思うけれど、
サムはどうかなー?
私じゃなくて、きっと一番サムを可愛がっていた私の父を待ってるに違いありません。
きっとそれが「絆」と呼ばれているものですよね。
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カリーナさん。
パロンちゃんは虹の橋のたもとで間違いなくカリーナさんを待ってますよ。
だってカリーナさんは立派過ぎるほど立派な「パロンちゃんバカ」ですから。
ふぇんふぇんさんのプロフィール
大阪のおばちゃん予備軍な40代前半。
30代は中国4都市に「なんちゃって駐妻」として7年ほど生息。
帰国と同時に犬と暮らし始めて「正真正銘の犬バカ」に。
現在の犬バカ活動?!は主にInstagramで行ってます♪
犬バカ指数100%な「#犬バカばんざい倶楽部」ハッシュタグ主催(笑)
Instagram ID:kamayuko
中島
虹の橋って言う言葉はよく耳にしてましたが、そいう意味だと初めて知りました。
良いお話をありがとうございます。
私が小学生の頃飼っていたスピッツは、父の転勤のため知人のブドウ園にひきとられましたが、じきフィラリアで死んでしまいました。何度か家族で会いに行ったのですが、かえって犬にとっては、残酷だった気がします。今もその子のことが忘れられません。
きっと待っていてくれてるかな。
なんか涙が止まらない〜
Tomi*
パロンちゃん、きっと虹の橋のたもとでカリーナさんを待ってくれていますね。
「虹の橋」のお話は、犬飼い・猫飼いにとって大きな悲しみを癒してくれると同時に、ふぇんふぇんさんがおっしゃるようにいつか自分が死を迎える時に、死の恐怖を軽減させてくれるものだと思います。
私も子供の頃からずっと犬や猫を飼っていて、何匹も見送ってきました。
それでも二度と飼いたくないなどと思ったことはありません。
死をも含めて、その小さな生命が与えてくれるものは計り知れないくらい大きいです。
今でこそネットで正しい飼い方などを調べることができるけれど、以前飼っていた犬猫には粗悪な食べ物を与えていたり、充分に愛情を注いであげられなくて可哀想なことをしました。
時々思い出しては「ごめんね、ごめんね」と後悔しています。
いい飼い主ではなかったけれど、虹の橋で待っていてくれるといいな…
両親や姉も先に逝っているので、私は死を迎えることは怖くありません。
今はただ、先に逝ったもの達の分までちゃんと生きようと思っています。
パロンちゃんが美しい草原で駆け回っている姿が目に浮かびます…
ふぇんふぇん Post author
>中島さま
子供の頃一緒に暮らした犬って、また違った意味で忘れられませんよね。
昔は今ほど一緒に暮らせる住宅も少なくて、仕方ない選択もたくさんあったと思います。
中島さんが今でもその子の事を忘れてらっしゃらないんだったら、きっと橋のそばで待っててくれてますよ♪♪
ふぇんふぇん Post author
>Tomi*さま
そうですよね。見送りの切なさも含めて、いろんなものを私達に与えてくれてますよね。
私もお別れの辛さを思うといたたまれませんが、逆に自分が見送れず後に残すようなことがあったら、それこそ辛い…と思いますし、その時その時で精一杯愛情を注いでいたら、いつかそのことが自分を支えてくれるような気がしています。