子どもの絵
母が自宅で絵画教室をひらいていたので、子どものころ、毎週土曜日の午後は「絵のきょうしつ」のじかんだった。
土曜日、学校が終わって(そのころはまだ週休2日じゃなかったから、土曜日は半日学校があった)家に帰ると、2階の居間に大きな青いシートが敷かれている。
簡単にお昼を食べてしばらくすると、そのうち近所の子どもがやってきて、そこが「絵のきょうしつ」になった。
このきょうしつは「はらっぱ」という名前がついていて、小さな子から小学校高学年や中学生まで、いろんな子が来た。
描く絵は、題材があることもあれば、自由な創作のときもあった。工作もした。
さまざまな材料や技法(版画や、ひっかき絵や、にじみ絵)を使って、いろいろな絵を描いた。
母の教室は、いちねんに一冊、絵本を作るということが大きなとくちょうになっていて、小さな子も大きな子も、例外なくみんながつくる。
おはなしを考え、絵を描いて、大きい子は製本もする。さいごは、図書館の本みたいに、母が一冊一冊透明なカバーをかけてあげて、自分だけの絵本が完成するのだった。
母はそういうことを、40年くらいもやっていて、今は美大を出た妹が、そのしごとを引き継いで、実家と、自分の家のりょうほうで「絵のきょうしつ」を続けている。
毎年3月には、作品展をひらく。
その年つくった絵本がみんな飾られるので、いつも楽しみにして出かけている。
子どもの描くものにはまったくかなわない、とよく言われるけれど、それは誇張でもなんでもなくて、ページをめくるたびに、「ふおお」とか「きょわー」とかなってしまうので一冊読み終わるのに非常に時間がかかってたいへんである。
今年、4さいの子がつくった絵本の題名は「さち」といって、表紙にちゃいろい「まんぼう」の絵が描かれている。
「さ ち」と本人の字で大きく書かれた静かな表紙はなんだか胸をきゅっとつかまれるようなせつなさがあり、おもわず『まちんと』を思い出してしまったくらいに雰囲気がある。
ページをあけると、公園だ。
「さち」は「さちちゃん」という主人公の女の子の名前だった。「さちちゃんは、公園でブランコに乗りました。」
次のページ、
「ブランコに乗るのをやめました。」(きいろい鳥が飛んでいる。)
「次は、すべり台で遊びました。」
「すべり台をやめました。」(カラスが飛んでいる。)
「家に帰ることにしました。」
もう帰るのか。
「家に帰りました。」
ええ?
「家に入りました。」
入った。
半分を帰ることに費やしている。
また別の絵本では、じんべいざめが主人公である。
じんべいざめは、居間の水そうで暮らしている。
食じには、大こうぶつの「マグロのかくに」を食べる。
あるとき、水そうにメダカのともだちがやってくる。
食じのじかんになると、大こうぶつの「マグロのかくに」が「ふってくる」が、メダカの背中の上に「マグロのかくに」がのってしまう。
食じのたびに、「マグロのかくに」がふってきて、メダカの背中にのってしまう。
ほかにも、ドーナツや、いろいろなものが「ふってくる」のを、食べきれないものは「きにかけとこう」と、水そうのなかの木に引っ掛けて保存しておく。
この「マグロのかくに」に代表されるように、子どもの絵本のおもしろいところに、妙にある部分だけディテールがこまかい、ということがある。
たとえば、あるねこのお話では、ねこの住んでいる地下の家が非常にこまかく描写されており、ねこは濡れた体を「せんたくきの上においてあるタオル」でふいて、2かいにいって眠る。
また、ほかの絵本では男の子が食べるとへんしんするキノコを手に入れるのだが、1ページ使ってキノコを洗い、次の1ページを使ってキノコを「だいの上において」いた。(そして食べるシーンは描かれなかった。)
こういうものを次々見ていくと、「ああ!もうだめだ!かなわない!」(←何をだ)とめちゃくちゃに走っていきたいような気持ちになってしまうのだが、同時に、子どもの発想の自由さ!というときに、そのすばらしい彼らの想像力は、けっして荒唐無稽な何かではなくて、子どもの見ているまわりのせかい、その体感にもとづいているのだと思う。
さっきの絵本のじんべえざめが、ほんとうに「マグロのかくに」を食べるのかどうかわからないが、この子はもしかして、どこかでそういうものをみたのかもしれない。ちいさな魚の背中に、えさがのっかるところを見たかもしれないと思う。そして、じんべえざめやメダカのきもちになってみたら、食事はもらうものじゃなくて、「ふってくる」ものだよなあ。
そして、そのあとでじんべえざめとメダカは「うつしば」に移されて、それから新しくて大きな家にひっこしをするのだが、それがとてもくわしく、いかにも嬉しいこととして描かれていて、この子はきっと自然科学や実験なんかも好きだろう。
子どもがつくる絵本には、それぞれの年齢の発達段階という特徴があり、その上に、ひとりひとりの個性があらわれる。
おはなしの最後に、ちゃんと家に帰る子、行きっぱなしの子。猫を飼っている子は猫の爪をおどろくほどいきいきと描く。かりんとうを盗んだカラスをおいかける。森の動物たちは、昼間寝てばかりのふくろうを起こして仲良くなろうといろいろ試すが、ふくろうは決して起きないし、昼と夜の森は最後までまじわらない。
おとなが自由になろうとするときに、どこか、何もないところから生まれたものが、真に自由なもののように錯覚することがある。
でも、こうして子どものつくるものを見ていると、彼らの自由さや想像力は、じぶんの生きているまわりをいっしんに観察して、そのなかでなぜかじぶんだけにはくっきりと見えてくるもの、聞こえてくる音を、体のなかから取り出してきて、そういうものを核にしてできているんだとわかる。
ちょうどわたしが妹の代わりに会場で店番をしているときに、「さち」の作者の女の子がおかあさんとやってきた。
話をするうちに、彼女のおねえさんの名前が、「さち」というのだと知った。
彼女はだいすきなおねえさんの名前を、大きく「さ ち」と表紙に書いたのだった。
「家に帰りました」のページには黒い車が描かれていたが、おうちの車がほんとうに黒なのだということだった。
彼女にとって、
「家に帰ることにしました」(そう決めた)
と
「家に帰りました」(くるまで)
は同じではない。
あそびをやめるときには、鳥が飛んでいる。鳥も、おうちに帰るのかな。と思っていたら、その女の子はおかあさんに表紙の絵(まんぼう)を見せて、
「ねえ、この絵なんの絵だかわかる?」と非常にむずかしい質問をした。
おかあさんが、「え!そういうむずかしいこと聞かないでくれる!」と言いながら、「さ…さかな?」(わかるよ、おかあさん…)
と答えると、彼女はぶうっとして、
「ちがうよ、と、り!でしょ!」
と言った。そ、そうだったのか。
だいすきなおねえさんが、鳥といっしょに公園から帰るはなしなんだな。と思いながら聞いていた。
最後のページでは、雨が降っている。
雨粒がひゅーっとおちてきて、地面にあたって水がぴちゃんと跳ねる、その、ひとつひとつが描かれている。
byはらぷ
※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。はらぷさんのブログはこちら。
※はらぷさんが、お祖父さんの作ったものをアップするTwitterのアカウントはこちら。
さきこ
ああ、素敵だなあ。
まさに「なんか、すごい」の世界です。
子供の描く絵や日常を押し付けがましくなく書ける、はらぷさんの文章も素敵。
「なんか、うまくいえないけどすごい」。
いつも楽しみにしています。
爽子
たのしい絵画教室に、わたしも通ってみたいです。
子供たちが毎年一冊仕上げる絵本は、宝物ですね。
最後のグレイの猫の絵、うまいなあ。。。感心しました。
本当に猫が好きな子だ。うん。
AЯKO
子供の見ている周りの世界。まさにそうなんだろうなあ。金魚に餌やるとたまに背中に乗ったまま泳いでるので、それ見ているんだろうなあ。
今うちの子達が毎日書き散らかしている落書きは、つい忙しさに見逃してしまうけれど、小石川後楽園に遊びに連れて行った後にジオラマ作っていたり、私の似顔絵にヒゲが生えていたり、印象に残っていることがわかります。何歳からこの絵はこう描くべきって縛りが始まってしまうんだろう。
ごくたまに、大人なのに子供の発想のまま描ける人の作品を見ても、私はノックアウトされてしまいますよ。
はらぷ Post author
さきこさん、こんばんは!
ほんとうに、子どもたちの絵本を見ていたら、よすぎてよすぎて、だんだん体が斜めにまがってきてしまいました(にやにやしすぎ)
書いたって、じっさい見るの1000分のいちくらいも伝わらないとわかってはいるのですけど、つい書いてしまいました。
楽しんでいただけてすごく嬉しいです。
わたしは子どもがいないので、おうちの子どもの日常っていうのはじつはよくわからないんですよね。
家ではもっと、おもしろいことたくさんあるんだろうなあと思います。
きっと、ありすぎておぼえていられないくらい。
あッそれ以上に大変なことのほうが多いかもしれないですね…子どものエネルギー……。
なんとなく、この年になってもまだ子どものほうに近くって、「気持ちがわかる…」と思いながら読んでいました。
はらぷ Post author
爽子さん、わーいこんばんは!
絵画教室は、ほんとうのところ、めんどくさくてさぼったり、だらだらして描きもしないで母に「描かないならあっちいっといで!」と怒られたり、ピアノの先生の娘あるあるみたいなことばかりしていましたが(笑)、週にいちど、習い事でもなく、宿題もなく、上達することも求められず、ただ自由に絵を描く時間があったということは、しあわせなことだったなあと今になって思います。
子どもが作る絵本、そのときにしかぜったい作れない一冊ですよね。
ほんとは、何にせよそうなのだけど、ちゃんと製本されて、一冊の本として残るということが、そして、それが、いちからぜんぶ自分でつくった「おはなし」だということが、とりわけいいのかなあ、と思ったりしています。
ねこの絵、さいこうです。
うん、あんたはねこ好きだ(笑)
はらぷ Post author
AЯKOさん、こんばんは!
そうか、金魚に餌をやるとほんとうに背中にのせたまま泳いでいるのですね。子どもの観察眼!
しかしなぜ「マグロのかくに」なのかは解明されずです。
AЯKOさんとこのおふたりは面白い絵を描きそうだなあー。
しかし小石川植物園に行ったあと、ジオラマはすごくわかりますが、AЯKOさんの顔にヒゲというのは、ぜんぜん意味がわかりません。
小学校中学年くらいから、特に女の子なんか、みんな同じ絵になってしまうってことありますよね。
女の子と、うさぎと、くま(笑)
ああ、もったいないなあと思うこともあるけれど、それでもやっぱり、それぞれの性格がかいま見えておもしろいです。
作品展を見にきたお母さんが、「うちの子はぜったいこんなの描けないわ」って言うことがあるんですけど、そんなことなくって、どんな子もみんな描けるんだと思います。
でも、大人になるとみんな、描けないひとになっちゃうの、不思議ですね(じぶんもだけど)
子どものように描ける大人は、もう、嫉妬しかない(笑)