〈 晴れ、時々やさぐれ日記 〉 ああ、おばあちゃん。おばさんやおばちゃんのはるかむこう
――— 46歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
( 予約投稿で失礼します )
先月のことになりますが、ご町内の行事に参加しました。「御神幸」という氏神さまの行事です。今の借家に移ってから11年、たしか2度目の「御神幸」のご接待です。うちのご町内は、昔からの農家のお宅と田畑を造成した新しい住宅が混在している地域で、今のところ農事に関連する行事が大事に守られている印象です。7月に御神幸、8月に風鎮祭、規模自体はこじんまりとしたものですが、古式ゆかしい行事が続きます。
「奥さん、来月は御神幸のご接待があるけぇ、その前にみなさんとうちで打ち合わせをするけぇ、ご参加くださいませね」 6月の終わり、お向かいのおばあちゃんからお声がかかりました。ご接待には昼食のご接待と途中休憩のご接待があり、町内にある公会堂と呼ばれる場所で、神主さんと総代さんご一行を接待します。総代さんご一行は男性、接待する側は女性、という昔からの役割分担です。
お向かいのおばあちゃんは70代後半。おじいちゃんを7年前に亡くされ、今は大きくて古いお宅にお独り住まいです。わが家がここへ転居したとき、おじいちゃんは足腰は弱られていましたがお元気でした。「7か月の乳児がいて、お騒がせすることもあるかも知れませんが」と転居のご挨拶に伺ったとき、おじいちゃんはこうおっしゃいました。「なんの、なんの。うちはワシがいつもばあさんに怒鳴られとるけえ、お騒がせなのはお互いさまですよ」
7カ月の乳児もだんだんに大きくなり、うちとお向かいの垣根越しに息子とおじいちゃんが手を振り合う光景が何年か続きました。わたしが息子を叱る声が大きくなっていく一方で、おばあちゃんがおじいちゃんをお叱りになる声はだんだんに聴かれなくなりました。
冬の日、お葬式が終わったその晩、普段東京にお住いという息子さんがおばあちゃんと一緒にわが家にいらっしゃいました。「これからは、母が一人になります。気丈な母ですが、高齢です。わたしも気を付けるようにしますがこれからもどうぞよろしくお願いします」息子さんは深々と頭を下げられました。
「今年はお昼のご接待じゃないから良かった良かった。準備といってもいつもどおり、おにぎりと酢の物と果物とおしぼりでよろしかろ」おばあちゃんの采配は適確です。事前の打ち合わせにお邪魔したお宅の仏間は、おじいちゃんの遺影が飾られ、清々と整えられています。「今日は 女の方がおそろいで、おじいさんも喜んでますよ」
町内の7人ほどの女性の中で、わたしが一番の新入りでわたしが一番の若輩です。一番の古参で一番のベテランのおばあちゃんは笑ってこうおっしゃいます。「次の御神幸は、わたしはもうおっちゃないじゃろうけぇ、みなさんどうぞよろしくね」
御神幸当日、お社から軽トラックにお移りになった神さまが、町内会長さんはじめ総代の方々を引き連れて、ゆっくりゆっくり町内を進みます。田んぼの豊作と町内の安全、朝から台所仕事をしたわたしたち接待係も榊のお祓いを受けてご利益に預かります。
お米は何合、きゅうりは何本、酢の物の味付けは…、おばあちゃんはわたしたちを気づかいながらも、見事な仕切りで仕事を進められます。「酢の物の味は…、わたしはもう少し味が濃い方が好きだけど、みなさんはどう?味見してみて」
おばあちゃんは、作業の合間合間、そこに集まったエプロン姿の女性たちそれぞれに話題をもちかけられます。その間のいいこと。その話題の適切なこと。おかげでクーラーもない古い古い公会堂の簡素な台所に、水汲みのポンプの音と笑いが終始絶えません。
朝8時半から始まった準備は、ご接待を経て午後2時に無事終了。神主さんをお見送りした町内会の役員さんと、お手伝いのわたしたちもお相伴に預かりました。役員さんはみな70~80代の男性。もう何十年もこの町内の変遷を見てきていらっしゃいます。
話題は専らそのおじいちゃんおばあちゃんの昔ばなしになりましたが、話しの合間あいまには、この町内の現在までの経緯がさしはさまれ、聞いているわたしたちは「は~」「へ~」と顔を見合わせます。おまけにそのお話が どこか少し色っぽくて、話す側も聞く側も和やかな中に自然と時間が過ぎました。
「まあね、昔は今みたいに 女のひとと男のひとがぺちゃくちゃしゃべるような時代じゃなかったけぇ。遠巻きに、ああええのぉ、って思とったけど、今じゃみんな、しわくちゃになって、ええもなんもありゃせんの~。みんな長生きといっても、車いすのひともありゃぁ、はなしの中身があさってのひともおる。は~ま~店じまいだな~と思いますィね。それにしてもまあ、ワシみたいにこのトシでやもめになると、さびしいの~。さびしいもそうだが、一人で食べる食事はとんとわびしい。わびしいも何も、茶一つ自分で動かな出て来んのが、せんなくていかんのですわ~」
この冬に奥様を亡くされたおじいちゃんが話されました。
「わたしはね、おじいさんがのうなってしばらくは、ああ、ああしてあげればよかったこうしてあげればよかったって、このわたしでもいろいろ考えたですィね。ところがね、あるときおじいさんが夢に出てね、そのおじいさんの後ろに半纏を着た若い女のひとが赤ちゃん抱いて立っとってね。おじいさんがこう言うんですよ。『赤ん坊ができたけぇ。すまんがの。。。』
赤ん坊ができたけぇ、って。わたし、それで目が覚めて、ああ、おじいさんもあちらで楽しくやっとるんじゃけえ、わたしももういろいろ気に病むことはやめようと、そのときから吹っ切れたんですよ。
だからね。○○さんも、今はお寂しかろうが、いずれそのうち慣れますよ。慣れます、慣れます。大丈夫、大丈夫」
「いやあ、今日は久し振りにようけぇひととしゃべったけぇ楽しかった。みなさん ありがとう。ごちそうさまでした」
「よかった。よかった………」
笑いの中で、御神幸のご接待はお開きとなりました。「今日はようけぇしゃべってよかった」そうおっしゃった○○さんのおじいちゃんのほっぺには、おにぎりのご飯粒が一粒。「○○さん、ご飯粒がついとりますよ。それじゃああなたモテませんがね」おばあちゃんのひと言で玄関先がまた賑わいました。
「御神幸も無事に終わって、にわか雨もいい具合にやんで。今日は、はあ、よかった、よかった………」
よかった。よかった………。わたしもエプロンをたたみながら、おばあちゃんの後について公会堂をあとにしました。お向かいのおばあちゃんはわたしの半歩先を歩かれているようでいて、その実はるか向こうを歩かれているんだなぁと感じた 今年の初夏、田圃道での記憶です。
爽子
目の前に田圃が広がりました。
そして、心底ゆっくりと寛いだ気分になりました。ありがとう〜。
はなまる級の良き日でした。ね!
読ませてもらってて、わたしたち、毎日毎日、有形無形にかかわらず、たくさんのものを頂いてるんだなあ…しみじみ感じました。
あ き ら
こんにちは。お話を伺っていると、自分もその時間を共有させていただいたような
きもちになりました。ワタシの実家は山間部の過疎なのですが、同じような共同体
の行事があれこれ行われています。
その煩わしさを省いてしまったら、豊かな何かもどんどん消えてしまふ。そしてその
ことを今はともに担っている諸先輩方がひとりひとり欠けていく現実も、いくぶん若い
自分たちが引き受けていかなくちゃなりませんよね。気持ちもつまるし、決して軽く
はないでしょう。
そんな中に素直に身を置いていらっしゃるサラヴァンさんに敬意を感じるとともに、
実家のまわりで頑張っている友人たちの顔も愛おしく思い浮んだのでした。
サヴァラン Post author
爽子さま
読んでいただいてありがとうございます。
そうなんです。
はなまる級の良い日でした。
目に見える何かが変わったわけではない
形に残る何かが残されたわけでもない
それでも胸にじんわりと残る
貴重な時間を過ごさせていただきました。
ひとの営みの根っこのようなものを
お向かいのおばあちゃんの後ろ姿に
拝見する思いでした。
サヴァラン Post author
あきらさま
読んでいただいてありがとうございます。
実は当地に来た初めはマンション住まいでした。
4か月後に子どもが生まれ、
それから一年足らずで今の借家に引っ越しました。
お向かいのおばあちゃんは
「赤ちゃん預かりますよ」とおっしゃってくださったり
ご近所の方もとてもご親切にしてくださいました。
それでも数年は、こうしたご町内の行事への参加を
正直なところは煩わしく感じておりました。
言われるまま仕方なしに参加させていただくにつれ、
こうした行事が果たす役割の意味を知るようになりました。
共同体の中に個人の生活がある。
個々人の生活の中に静かな物語がある。
共同体としての生活の中に静かな歴史がある。
そんなことを淡々と教えて下さる人生の先輩方に頭を垂れます。