ああ、梅春。三寒四温のあいだ。
三月になった。壊れたままの温度計は、冬じゅう29℃をさしていた。
三月になった。本州の西の端にいて、こんなことを言ったら北の方にお叱りを受けそうだけれど、三月の暦をめくった瞬間に「ああ今年もなんとか越冬したな」と思ってしまう。
日差しが明るくなって、明るい色のものが着たくなる。学年最後の授業参観は、数日前なら迷いなく黒を選んでいたのに、昨日は急に若草色を着たくなった。冬色のおばさんで行くよりもせめて色だけでも明るくいきたいと思った。とはいえまだ首を出す気にはなれない。
タートルは脱ぎ着が面倒だ。顔を塗ったあとは特に。えいやっと若草色に首を通してえいやっと鏡を見る。危ぶんでいたほどの違和感はなかったので、そのまま真冬のものより毛羽立ちのないハーフコートを着て出かけた。
小学5年の女の子たちはもうすでに小学6年に見える。小学5年の男の子たちは唇の上にうっすらと濃いめの産毛をたくわえながらまだまだ小学5年にしか見えない。
知り合いのお母さんたちに「引っ越すって聞いた。引っ越すの?ねえ引っ越すの?」と口々に聞かれる。「え?うち引っ越すの?ねえ引っ越すの?」と聞き返して笑われる。ともあれ、担任の先生とお会いするのはこれが最後になるのでちょっと長目におはなしして一年のお礼を言って帰る。体育館のフロアにグランドピアノが降りていたのは卒業式の準備だろう。今年ももうそんな季節だ。
そういえば学生時代、謝恩会というのがあった。あれは一体誰が幹事をしてくれたのだったか。案内の文章に「お世話になった先生方に感謝の意を込めて」という文句があって、少しばかりの悶着があった。「いやいや、感謝には及ばない」と先生方がおっしゃったのだ。
「仰げば尊し」を、中学や高校の指導のもとに歌ってきたわたしたちは面喰った。「儀礼」を、ただ「儀礼」として流してしまうことに鈍感になりすぎていた。結局、「卒業記念」と会の名を改めて先生方の臨席をたまわった。
その頃の恩師が、この春退官をされる。わたしたちの卒業のあとで改組があって、学部が新しくなった。それらの変遷の中で先生は学究生活を全うされ、長く教鞭をとられ、また一方で多くの同僚の先生の長年の労をねぎらわれてきた。けれどもしかし先生のご退官にあたっては、学内の記念行事こそあれ、わたしがイメージするような賑々しいパーティーは計画されていないそうだ。改組があった学部では、虚礼廃止の不文律があるのでこの度もその例に倣うことになっているらしい。
今風といえば今風。でも何か寂しさも残る。
学生時代、梅春ものと呼ばれる洋服になんとも言えない憧れがあった。三島由紀夫の「女神」の一節がその頃の気分とリンクした。
「女の服飾は、空の色、海の色、夕焼けの色、あけぼのの雲の濃淡、池の反映、樹木、建物、部屋の配色、一日のうちのあらゆる時間、光線、会合の雰囲気、すべてのものと調和や対照を保っていかなければならなかった」
梅春と呼ばれる季節はあっと言う間に過ぎてしまうので、よほど日々の変化に敏感に肌をそばたてていなければ捕まえそこなってしまう。ちょっとした怠惰やちょっとしたやさぐれの間にせっかくのこの季節の光陰を取り逃して毎年毎年「梅春」をとりこぼす。
先週のお稽古の日、お習字の先生がおっしゃっていた。「今が梅のいちばんの時期。梅の香りがすばらしいですよ」。
さて。掃除機を片付けたら梅を探しに出かけてみようか。黒のダウンは着ないでおこう。
nao
こんばんは
寒い寒いと思っていたけど
夕方5時を過ぎても明るいし、うちの庭の梅も咲き始めました。
花や木の芽吹きは本当に春を感じさせてくれます。
子どもの頃、5月のゴールデンウィークは
日本中が観桜会(お花見)をしているのだと思っていました。
4月の春先は雪解けであまりきれいな季節ではありませんでした。
明るい色の服を着ましょう。
玄関にも春の花を生けましょうね。
サヴァラン Post author
naoさま
こんばんは
北国の春
わたしは10年ほど前に3年だけ山形で過ごしましたが
ゴールデンウイークは東北のためにある!と思いました。
4月も末になって
それまでモノクロだった景色が一息にカラーになるあの感じは
遅い春を待ちわびたご褒美だと思いました。
明るい色の服 着ます!
玄関に春の花 生けます!
あたたかなコメントをありがとうございます!