ああ、乗り換え。のぞみとひかりのあいだ。
くさかった、のである。
そのくささが、わたしを「非日常」から「日常」へと引き戻してくれたのである。
おととい17日、OVER40の「おしゃべり会」に東京へ行った。今夏は名古屋の実家への帰省もしなかったため、これがわたしの夏のビッグイベントであった。
ちょうど一か月前、わたしは3日間の家出をした。家出の原因は小学6年の息子との衝突だったのだけれど、おとといの朝は「おかあさん、くれぐれもみなさんに失礼のないように」と、諌められて山口の家を出た。
上りの新幹線に、新大阪からカリーナさんが乗車してきてくださった。「あら。今日はちょっとお揃いっぽい洋服になりましたね♪」。
ちょっぴりの緊張と胸躍る幸せな一日のはじまりであった。
「おしゃべり会」は、「おとなとしてここにあることを実感として寿ぐ会」であった。
SNSという目に見えないご縁で結ばれた方々と、ひとつのテーブルを囲める幸せ。それは、「おとな」であればこそ成り立つ互いへの信頼と尊敬と親しみというものに、静かに、そしてしっかりと裏打ちされていた。
テーブルの上にはしみひとつない真っ白なリネンクロス。クロスの下には厚手のフェルトがアンダークロスとして敷かれているはずだけれど、それはこの「おしゃべり会」そのものを現しているように感じたりもした。
甘露で至福な時間というものは、あっと言う間に過ぎてしまう。。。
帰りの新幹線も、急きょカリーナさんと同席させていただくことにした。事前に予約した便を、新大阪経由の乗り換えのある便へと変更をした。
「おしゃべり会」で高揚しきったわたしは、みなさんがおっしゃるところの「サヴァラン節」を新幹線の車内でもなお延々とうなり続け、大好きなカリーナさんを疲れさせたに違いない。
ところで。「サヴァラン節」とはいったい何なのか?? ううう。。。
ともあれ、カリーナさんの疲労という多大な犠牲のもと、わたしのこの夏いちばん幸せな一日は暮れていった。
新大阪駅でカリーナさんとお別れをし、混み合う「のぞみ」からガラガラの「ひかり」へと乗り換えたとき、わたしの全身の細胞は幸福感で泡立っていた。
山口から実家のある名古屋、あるいは時々東京。このルートはわが家が当地山口へ越してから何度利用したことになるだろう。当初は乳児の息子を抱いて、デッキに立ちずめのこともあった。とにかく一刻も早く粛々と移動を終えること。目的地にたどりつくこと。新山口の駅に停車する「のぞみ」号は便数も限られているが、「乗り継ぎ便」という選択は一度も考えたことがなかった。
夕刻を過ぎた大阪以西の「ひかり」号は、各駅停車の鈍行新幹線であった。
空席の多い、グリーン車並みの広いシートにどっかりと一人で座り、速度を落とした新幹線の車窓からは、これまであまり見たことのない景色が見えた。
高架の新幹線からは、沿線の高層マンションの各戸の様子が間近に見えた。昼間はそうでもないのかも知れないけれど、電気を灯した室内の様子は、家々の「日常」をコマ割りの劇場のように如実に見せていた。
生々しいリアルな日常。
昼間、「のぞみ」のスピードから見えるマンション群は、生活感のない無機質なのっぺりと一様な建造物の群れであった。
夜、スピードを落とした「ひかり」から見えるマンションは、有機質な生き物のようにぬらぬらとまばらな光を放っていた。
どの家もどのひとも一様であるわけがない。。。
一様でないから、くるおしくも、せつなくも、いとおしくもある。
刷毛目もなくきれいに塗られた明るい白壁を、若い頃に思い描いた「しあわせ」のイメージとするなら、鏝目をランダムに残したところどころに年月の陰影を残す厚みのある漆喰壁が、今わたしが思い描く「しあわせ」のイメージだなぁ、と、「ひかり」の窓に映る自分の顔をまなじりの隅に置きながらぼんやり思う。
実家のある名古屋を通り過ぎ、山口へ向かう。12年前はしっくりこなかった感覚が、今ではすっかり馴染んだ気がする。
むかし、「飛んでるように走る」と唄われた「ひかり」号も、今は区間によっては律儀に各駅に停車したりもする。
その時人生の駅員(それが神であるか超越者であるか仏であるか私は知らないが)がそれとなく連呼して自覚をも促してくれているのである。
「乗り換え、乗り換え--。お乗換えお願いしまあす」
そうか、ここで乗り換えしなきゃならぬのだ。いつまでもこの線でいいと思っていたのは、誤りであった、ここから別の支線(それがあるいは本線か幹線かもしれぬが)に乗り換えて生きていかなければならないのだ。
人は慌てて荷物をまとめ、発車間際の電車から飛び降りるのである。
そうやって、乗り換え乗り換えして乗り継ぎしつつ、終点までやっていくのが、人間の一生かもしれない。 ( 「乗り換えの多い旅」田辺聖子 より )
む。くさい。圧倒的にくさい。
さては、後部座席の乗客が靴を脱いだな。
夢見心地のわたしを「非日常」から「日常」へと見事に引き戻した立役者は、意外なことにイケメンの若者であった。
蛍光灯が白々と明るい、ガランとした新山口のホームに降りたったとき、あのくさい足のイケメンにもお礼を言った。
2014、8、17。
わたしの鏝目の漆喰壁の一部を、あまりにリアルな嗅覚の記憶とともに締めくくってくれてありがとう。
※ 上の似顔絵は、「おしゃべり会」参加者のれこさんが描いてくださいました。昨日のカリーナさんの記事内の写真では、フレームの手前で鴨のローストを思いっきり頬張っているわたしが、このイラストではこ~んなに奥ゆかしげで大満足♪ ちなみに、左上から、れこさん、コメさん、サヴァラン、じじょくみさん、下段左から、プリちゃん、つまみさん、カリーナ部長、慶子さん、です!れこさんについては、後日あらためて、カリーナさんから紹介があります(新コンテンツあり)。みなさま、どうぞお楽しみに~♪ (サヴァラン)
れこ
イラストを紹介していただき、ありがとうございました。
先日は本当に楽しい集いでしたね。
だのにリネンクロスにトマトソースの
染みをつけてしまった私。おおお…
非日常から日常へと戻る途中での
心の動きの流れるような描写こそが、
サヴァラン節の真骨頂だと私は思っています。
サヴァランさんのことばは、サヴァランさんの中で
まさに息づいているんだなあ、というようなことを
お話をしながら改めて感じました。
ああ~、でも素敵な出来事があった日は
周りの人にも感謝したくなる気持ち、わかります。
イケメン君、おいしい奴め。(笑)
サヴァラン Post author
れこさん
こちらこそ、
ほんとはへちゃむくれのサヴァランを
こんなに「おていれ」して描いてくださって
ありがとうございます!
メンバーのみなさんも
れこさんの愛あるイラストに大満足の声。
今日はまた
わたしの散漫な文章にも
すばらしい「おていれ」を加えて下さって
喜び累乗です。
また次回お会いできる日を心から楽しみに♪
それにしてもあのイケメン
ほんとにほんとに
くさかったのーーー。