〈 晴れ 時々やさぐれ日記 〉 「ああ、ルージュ。饒舌と寡黙のあいだ 」②
――― 先週で、終わるかに思えた「 ああ、ルージュ。饒舌と寡黙のあいだ 」。なぜだかまたしても、キーを叩いてしまいます。。。―――
先日、口紅をさして行って参りました。息子の通う小学校へ。呼び出し、ではありません。苦情、でもありません。「先生、うちの子だいじょーぶですか。」とお尋ねするために、年度末の忙しい時期に、わざわざ時間をいただいてきました。
うちの小4の息子がお世話になっているのは地元の公立小学校です。今どき珍しい児童数1000人超の学校ですが、これ、わたしの○○年前の小学校もそうだったんです。いずれにしろ、今のところはこれといった問題もなくまったりと日々が過ぎ、小4はこのまま小5へと進級していきます。
まずいよなー。まずい。この 後期高齢両親のあいだで育ったまったり少年の行く末。なんといってもどんくさい。おまけにその自分のどんくささにこれっぽっちも自覚がない。幸せといえば幸せ。不幸といえば不幸。
当地山口市の小学校では、3学期の個人面談がありません。通知表には、2、3行の所感欄があり、担任の先生からの一年間の所感は、その2、3行に集約されて手元に届きます。いかんせんそれは、「褒めて育てる」昨今の教育の流れに則り、「ざっくりとした」お褒めの言葉にならざるを得ません。あんなまったり太郎を、こんなふうに褒めていただいて…と、感謝の念で過去の3年を過ごしましたが、正直に言えば、とっても消化不良です。
親が感じている問題点と、先生が集団の中でお感じになる問題点、そのすり合わせをして欲しい。さらに言えば、この子のどんくささは、集団の中で許される範囲か否か、そこのところが是非、知りたい!そこがわかれば、わたしのこの子への対応も、すこ~しゆるく、あるいは さらにまきをかけて、と「塩梅」の塩加減の調整もできる。(かな)
もぞもぞと4年間の腹部膨満感をもてあまし、このたびワタシは先生にお願いをしたわけです。勝手ながらお時間をいただきたいと。うちの息子の学校でのこの一年の様子を、少しくわしくお聞かせ願いたいと。
もともと今年の先生は、40代の男性の先生で、これまでの1,2学期の面談( 10分×2 )及び、家庭訪問(10分)、並びに授業参観&子どものはなしetc などから、「冗談の通じるタイプの先生=わたしにとっておはなしがしやすい先生!」と拝察していました。お子さんもうちの子たちと同じような年齢。本音と建て前を、教室でもぽろぽろと「意図的」におはなしされていることも、子どもを通じて聞いていました。「いけそうだ。」
誰もいない、閑散とした教室。四年生用の机と椅子は、大人にはまだ小さくて座ると複雑な心境になります。その「児童用」の机を二つ迎え合わせにし、ちょっとばかり世間話のようなおはなしのあと、わたしは控えめに口紅を塗ってきた口から、「率直なトコロ=ぶっちゃけ」どうなんざんしょ、と切り出させていただきました。
「 おかあさん、ああ、そこですか。」
時間にしてなんと1時間半。わたしからの面談の依頼ですから、こちらで時間を見て席を辞すものと思っていましたが、あれれ?先生もよ~くおはなしになりました。先日小学校を卒業された息子さんのこと、うちの子と同じ学年のお嬢さんのこと、奥様のこと、先生のお父様のこと、お仕事と子育ての両立のこと、先生ご自身の、教師として父親としての複雑な心境。。。
「すみませんね。わたしの方が自分のはなしをいろいろしちゃって。」 先生は頭をかきかきそうおっしゃいましたが、いえいえ、わたしはうれしゅうございました。最後の最後に距離が縮まって。そして、子をめぐる親の思い、大人の思いは、いずこも同じと胸あたたまるおはなしを伺えて。
「 はーまー、親っちゅうもんは、せんないもんです。」
「せんない」というのは山口弁で、「せつない、しようがない、しかたがない、面倒くさい」という何やらひとによって相当意味に幅のある言葉らしいのですが(もとの言葉は「詮方なし」のようです)、わたしはこの言葉を先生から伺えただけで、お時間をいただいてよかったと感じました。
この先生は茶目っ気のある方で、はなしの最後にイタズラっぽくこんなこともおっしゃいました。「お母さん、これからもこうやって教師を捕まえてください。教師はもともと こういう機会が大好きなんですから。どこかよそのカウンセラーさんなんかに行かずにね。ぼくら、タダなんですから。」
んじゃ、先生、こんなこと伺ってどうかと思いますが、ちょっと気になってることをこっそり小さい声で聞かせてください。子どもがお世話になっている学校所属の合唱団。音楽専科の先生と もうお二人の先生が日々の指導にあたって下さっていますが、「お手当」はどうなっているんですか?ない、とわたしは思っていて、あれは要するに「ご厚意」だと理解しておりますが。
「 ない、はずです。断定はできませんがね。まあ たぶん、ない。それで休日も返上で練習の指導をしてる。○○なんかね。おまえ、土曜も休日も合唱団で。いつデートするんだ?って心配してますよ。ぼくらも応援したいんですけどね、現実的にはいろいろと難しいところなんですわ 」
よかった。学年末の超多忙な先生に、一時間半もの時間をいただいた手ごたえがあった。あ、いや、この日のこのおはなしで、わたしと息子の「まったり対決」がきれいさっぱり解消されるワケでもなく、そしてわたしが合唱団の父兄内部の不協和音の調整に乗り出せるワケでもないんですが。
手ごたえとつかみどころと見通しのつかないないないづくしの日々。今降り出すのか、まだまだ持ちこたえられるのかあまりにもはっきりしない、長々続く晴れたり曇ったりの空。そこへ少し、明かりがともったような、そこへ少し、新鮮な空気と温度がもたらされたような。まずいな、こんな感想じゃ、先生へのお礼のお手紙にはならないな。
まあ、いい。おはなしをさせていただいたことは、とても貴重で得難い時間だったことに感謝の旨 お伝えしよう。
せんないよなー。せんない。
そうつぶやくと 唇の荒れも少しだけ潤うような気がします。わたしの口は、何を語り何を黙するべきか。そこのところの線引きは これがどうしてなかなかに難しいのですが、口紅の色をあーでもないこーでもないと選ぶように、話すべきこと、黙っているべきことの境界を、これからも探り探りいこうと思います。
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TOKO
ほっと心温まる時間が今、あります。
私は子育て終了しましたけれど、振り返ればいろいろなことがありました。
考えてみると、まずは先生に話を聞いてみる、それは大事なことだったと思います。
今、教職の方たちは本当にお忙しく、苦労も多く、このままでは先生のなり手がいなくなるのでは……と心配するほどです。
でも、先生は子供と接している時間が一番やりがいを感じ、授業よりずっと幅を取られる雑務的な、あるいは対外的な仕事より、本来の目指した時間に力を注ぎたいと思っているんです。だから、父兄の要望に応えて時間を取ってお話しすることなど、よろこんでされると思いますよ。
父兄と担任の相性はあると思いますが、目を見て話すことで得られることは多いでしょう。
良い時間を持たれたようで、良かったですね。
爽子
いい先生だなぁ、暖かな気持ちになりました。
うちは、年の近い三姉弟なので、あっちゅう間に大きくなって、ありゃありゃといってる間に、子育て期間は終了しました。
個人面談、幼稚園からずっと、予め三区画とって、毎回大目玉の次男も、今月結婚いたしました。
ペコペコ頭を下げて、話を聞いたのも今は昔。
懐かしいなあ。
子供は、親の思うようにはなりませんよ。
でも大丈夫!
ドーリー
わぁ-、とてもいい先生と有意義な時間が過ごせたようでよかったですね♪
私も子供達が小学生の頃の先生方は、保健室の先生含め「お母さん達、何かあったらいつでもどうぞ」という先生が多かったです。
中・高は先生に恵まれなかったと思っていたけど、ちょうど学内も荒れていて、そこに関わる人達みんなが楽しくない時間を重ねていたかも。
それから、私も前回の記事以降に、明るいピンクのルージュを買いましたよ。
これ付けてる時に、中・高の先生に会ったら「先生も大変でしたね。ありがとうございました」と言えるかな…。…うーん…いや、そこまでは無理だな…。
せめてこれから会う人達には、言うべきこと・言わないこと、そしてちゃんと言葉が選べるように、ルージュを境界線に考えられたらいいかな。
感謝の言葉なんかは、たとえ拙い言葉ではあっても、いーっぱいちゃーんと口にしたいですよね。
サヴァラン Post author
TOKOさま。コメントありがとうございます。
「振り返ればいろんなことがありました」とおっしゃるおことばに、たいへん励まされます。また、「まずは先生に話を聞いてみる、それは大事なことだった」という述懐にも。
わたしも今回、面談をお願いするべきかどうかで迷いました。先生方がご多忙なのがよくわかるからです。先生という職域はかなり特殊だと感じています。それでも、「先生」として日々奮闘いただくことに感謝の気持ちでいっぱいです。些末なことで時間を割いていただくことにかなりためらいがありましたが、結果としてゆっくり時間を頂戴できたことは大変有意義だったと思っています。「目を見て話すことで得られることは多い」まさに、そう感じました。
「ほっとする時間が今、あります。」そうおっしゃっていただくことに、「今しばらくがんばろう」と思えます。心強いエールに感謝いたします。
サヴァラン Post author
爽子さま。コメントありがとうございます。
あっちゅうまに、ありゃありゃといってる間に、自立していってほしいです(泣)。「もーさー、おかあさんさー、他のおかあさんみたいに若くないしさー、古いんだからさー、ガタがきてるんだからさー、たのむよー、きみー」いっつも泣きの涙ですが、このお気楽息子ときたら、「おかあさん、古くてもさー、孫の顔を見るまではまあなんとかがんばってよ。」と返します。孫の顔ってあなた、あと何年わたしゃ心配し続ければいいの??
それはそうと爽子さま!え?それではもう、お三人のうちお二人が独立ですか?!うっひゃぁ~~~。すばらし~~~。
「子供は、親の思うようにはなりませんよ!」ほんとほんと。腹を据えて参ります!
そして ここ→「でも大丈夫!」 ちょっと涙。暖かい応援ありがとうございます!
サヴァラン Post author
ドーリーさま。コメントありがとうございます。
そうなんです。いい先生でした。結局一年を通じて折々に、「どういうタイプの先生なのだろう」と、失礼ながら探りを入れている部分があって、それはなんだか不毛なことだったという反省があります。信頼からはじめればいい、そう改めて感じさせられました。これはもしかしたら、先生の側でも同じような心理が働いていて、先生は先生で「どんな母親なんだろう」とお感じなのかも知れません。ドーリーさまに先生方が「何かあったらいつでもどうぞ」とおっしゃったのは、ドーリーさまのお人柄ゆえ、という気も致します。いずれにしろ来年度、わたしももっと考えよう、と思いました。学校をめぐる環境って、たしかに何がしかの波がありますね。そういうことにも目配りできるようになりたいです。
口紅、お求めになったんですね!明るいピンク。いいな~。すてき。わたしも4月からあらためて、感謝のことばい~っぱいの口元にしたいです!素敵なコメント、元気の出るコメント、ありがとうございます!