義母の入院
義母が入院しました。
寝台タクシーで救急外来に行きました。
救急の待合で義姉は「母との今までの関係はこれで本当に終わったと思うわ。泣いちゃいそう」と言っていました。
十分共感します。自分に置き換えて考えることもできる。でもやはりピアニストには暑くないなーとも思うのです。
そんな私とどういう話の流れだったか、同居は双方が大変だということで意見が合いました。お義姉さん自身も同居をやめたとき「あー自由だ!」と思ったと。そしていま子供さん家族との思いも寄らぬ付き合いの難しさでつくづくそう思っていると。
ずいぶんたくさん話しました。
話ができて良かったです。私のピアニストの部分を無理してかくさなかった一瞬がありましたから。
さて、自宅に帰って真っ先にしたことは同居してから気になっていた南向きの小窓のカーテンを開けてみたことです。カーテンが二重にかけられてその前にポータブルテレビが置かれていたので、はめ込み窓を想像していましたが、なんと開けられる窓だったのです。
窓を開けると外の空気がさあーっと入ってきました。
私の祖母が入院したとき、実家のうさぎは主のいなくなった座敷にすかさず侵入し、速攻探検していました。実家のうさぎは放し飼いで行きたいところに行き放題でしたが、祖母にはかなわず祖母の部屋だった座敷はウサ跡未踏だったのでした。
そんなことを思い出しました。
義母の入院の朝は準備でばたばたしていて、うさぎファーストではありませんでした。
いつもどおりに朝ご飯をやり、へやんぽをさせましたがあまりかまえなかったので夕方早めにケージをあけてやりました。
うさぎは出てくるとぴょんぴょんぴょーんと3回Binkyしました。
階下からの物音がなくなり静かになった家で、均衡に敏いうさぎはなにか感じ取ったのかも知れないです。
とはいえ、私も開放感100%の気持ちではありません。
今までいた人一人がいなくなった。寝たり起きたりの「うちにいるおばあさん」だったけれど存在感があったのです。
なんともいえない寂しさも感じています。
開放感だけ感じる人間でなくて なんかよかったよ と思います。
そして義母には私だったらこんなふうがいいと思う最晩年を過ごしてもらいたいです。
病院に向かう寝台タクシーからペットショップのうさぎの看板が見えました。
なんと義母は「あら、うさぎよ」と言いました。私が日頃うさぎうさぎいうものだからいつの間にか周囲の人もうさぎに反応するようになってしまった。
嬉しいけれど少し申し訳ないです、いや、やっぱり嬉しいか。
そしてなんと言っても義母はうさぎ年なのですよ。