かなしいかんじ
うさぎとの生活から感じる色合は澄んだ薄いピンクに水色か藍色が一筋入っている感じです。かわいさと明るさだけでなくかなしい感じが少し混じるのです。そして時々とても疲れてしまう感じも混ざっています。
実家で犬や猫と暮した頃を思い出すとオレンジとか濃い黄色とかしっかりした色ですが、ウサギの色は透明です。食物連鎖の底部分に居る動物とその上位に居るものの違いでしょうか。ピラミッドをのぼっていくための忠誠とか強さを求められていないから濃くないのかもしれません。
かなしさの理由は はっきりあっさりしているものからうまく言い表せないものまであります。
あっさりしているのはウサギの足趾が前は5本で後は4本だと知ったとき。人間とウサギはずいぶん早いうちに枝分かれをして、全くちがう種の枝先にいるらしいと思い知るかなしさ。
それと、もちろんウサギの寿命。廊下のさきの薄暗がりにぽつんと座っているうさぎをみて、人間よりずっと速く過ぎていくウサギの時間を感じたときのかなしさ。
おやつの牧草クッキーをもらったうさぎ。遠くでゆっくり食べようと思っているらしくクッキーをくわえて走り出し、1塁から2塁、そして3塁まで走って行って結果、ホームベースにわりと近い位置で一生懸命食べることになります。「うさちゃん、そこわりと近いよ」というと3塁からまっすぐ走ってきたりして、ちゃんと「重々承知」なのかもしれませんが、可愛らしさのなかに少しかなしい感じがします。
「かなしい」には「悲しい」と「哀しい」と「愛しい」等の漢字があてられます。「愛しい」はなんか気障な書き方だと思っていましたが「大切で可愛らしい」という気持ちを表すそうです。それが音では「かなしい」ですから愛しさ(いとしさ)のなかに悲しさが連想されて、よくぞこの字が当てられたものだと思います。うさぎとの生活にはこのすべての文字が当てはまるのです。
そしてこの「かなしい」気持ちはわりとこころのエネルギーを消耗するのです。道理で疲れるわけだよ。けして下僕が怠慢なわけじゃない。
かわいさあまって消耗する下僕。
うさぎを捕まえるときはキャリーに誘導する(追い込む?)のですが、キャリーとキャリーの扉と壁などで3角形に追い詰めるとあっさり捕獲成功します。キャリーに向かって私が「はい、いいこちゃん」などとネコナデ声を出しているそばで、家族は「わーははは!しょせんウサギだな!」と勝ち誇りますが、消耗するよりもこのほうがずっといいのかもしれません。