【月刊★切実本屋】VOL.82 「悪くない」かも
去年の7月にここで取り上げた『ほんのちょっと当事者』の著者、青山ゆみこさんの最新作『元気じゃないけど、悪くない』を読んだ。これは、心身のバランスを崩してしまった著者自身の怒涛の記録だ。
彼女は、2020年の夏に愛猫を亡くし、更年期とも相まって孤独感と寂寥感に苛まれ不安定になる。期間限定ではじめたパーソナルトレーニングや禁酒で達成感や喜びも得るが、正しい生活に対して違和感も覚え、その年の暮れに心が緊急警報を発する。思考が暴走し、コントロール不能に陥るのだ。その様子が克明に記されていて身につまされる。
たとえば、最初に起きた「頭の中が光り輝いたような感覚」に対して【このところ悶々と親子の問題について考えていた自分が、自分で大きな呪いを解いたからだろうか。きっとそうだ。まるで良きことが起きたように思われた。】というところ。そしてそれに続く全能感。今まで経験したことのない新手の心身の症状をまず「良きこと」として捉えようとする感じ、わかる。悪い徴候かもと思った時点で、そいつらに引きずり込まれそうで自己防衛本能が指令を発する例のアレじゃないか。それが成功したかのように感じたときの、自分をコントロールできている全能感‥それらはリアルでゾッとする。
しかし、全能感は考えることをやめられない苦しさにたやすくとって変わる。思考の過剰さに翻弄され、死にたいという濁流に呑まれそうになるのだ。そんな彼女を現実に引き留めたのは、一緒に生活している家族(夫)がそれにまったく気づいていないことだったという一見意外な事実も、これまたリアルで怖ろしい。なぜなら、家族に気づかれないことこそ、すべて自分の頭の中だけのことだという証拠にほかならないからだ。読み手は、周囲が異変に気づかないほどそれが突然一気にきたとわかり唖然としてしまう。
しかし彼女は、自由に動けないながらも、動く。これだと思う本を貪り読み、クリニックに駆け込み、母親の命日まで辿り着く。この後の、自分の居場所づくりとそこでの時間、専門家や友人や自分と近い悩みを持つ人との集い、キックボクシング‥など、決して平坦でも、右肩上がりでも、さりとてネガティブなだけでもない毎日が綴られる。この本のタイトル『元気じゃないけど、悪くない』は、行き着いた不動の境地ではなく、リアルタイムの状況と感慨であり、この先もなんとかそれでやっていきたいという希望なのだ。
『夜明けを待つ』(佐々涼子/著)を読んだときも感じたことだけれど、ライターとしていろいろな対象を取材してきた人が、自分について書き、「自分こそわからない」という事実を提示してくれると、なぜか少し安心する。なまじっかな結論を導き出そうとしない書き手が真摯に逡巡する姿は、知性や洞察力や行動力や人脈や表現力を駆使していてヒリヒリするほどだが、そんな風に身を削っても、どんなに深く考察しても、ままならないものはままならない、それを踏まえてやっていくしかない、みんなそうなのだ、とあらためてこちらの丹田に落とし込んでくれることが心強いのだ。
同時に、どんなに混んだプールでも、水中に潜った瞬間にそれまでの喧騒はかき消され、言いようのない孤独を感じることをも、思い起こさせる。あの絶望に近い孤独。でも、隣で潜っている人も同じように感じているのかもしれないと思うと少し孤独じゃなくなる。それって、安定感には欠けるものの、命綱のはしくれに似ていなくもない。この感覚がわかるうちは大丈夫だ‥みたいな。そう思えるのは「悪くない」かも。
苦しんだりもがいたりして、人は死ぬ瞬間まで生の途上にいるのだ。ってことは、自分でもうとっくに終わらせたつもりでいるあらゆることが、実はまだなにひとつ終わっていないということかも。なんだかうんざりもするが、過去完了形より現在進行形の人生は「悪くない」かも。
この本の第3章以降は、それぞれの章の終わりに、本文中で言及された書籍の情報が記載されている。このあたりがミシマ社っぽい。なんか。読みたい本が増えた。「悪くない」かも。
by月亭つまみ