モヒカンのとこと、茶色いとこと、あわせて息子。
映画を見ようと地下鉄に乗り込んだ。
仕事をさぼっての映画鑑賞なので、地下鉄は中途半端に空いていた。乗り込んだ車両の座席はそこそこ埋まっている感じ。でも、優先座席には誰も座っていない。東京では優先座席が見事に空いていることが多いけれど、なんだかそれも不自然な気がする。お年寄りが乗り込んできたら、席を譲ればいいだけの話なんだから、みんな座ればいいのに、といつも思っている僕はためらいなく座る。
次の駅で三人の親子連れが乗り込んできた。いちばん最初に目に入ったのは幼稚園から小学校に上がるか上がらないかくらいの男の子だった。この子の髪型がソフトなモヒカンなのだ。なぜ、モヒカンなのかはわからないけれど、ソフティにこんもりとしたモヒカンで、一昔前に流行ったベッカムのモヒカンをもう少し派手にした感じ。しかも、この生意気なクソガキは茶髪なのである。茶髪でモヒカン。幼稚園でも「何を考えておるのじゃ」と言われそうな髪型である。
世も末だ、と思い、こんなことをさせておく親が悪いのだと視線を移すと、そこには見事に同じ髪型の父親がどっかり足を広げて座っておる。お前か!お前の髪型を息子にそのまま移植しているのか。しかし、まだ、マシなのだ、父親の印象のほうが。なぜだ!?と思い、じっくり見ていると、父親はモヒカンだかが髪の色が黒いのだ。ほほう、なぜ、この馬鹿な父親は自分は黒髪なのに、息子は茶髪のしたのだ。
そう思いつつ、父親のその横にいる母親を見た。謎は解けた。このクソガキは父親の髪型をして、そんでもって、母親の毛染めを一緒に使っておるのである。モヒカンは父親譲り、茶髪は母親譲り。両親から一つずつもらって、息子は世にも派手な幼稚園児に仕上がったというわけだ。
さて、この子がどうなるのかは知らないが、ろくなもんにならない可能性は高い。人は見た目で判断しちゃいけないというが、それは嘘だ。『人は見た目が9割』という本のタイトルは鼻持ちならない気がするが、当たらずとも遠からず。そうでなければ、人がこれほど見た目に左右されてしまうことは無いはずだ。
『人は見かけによらないぞ』というのは、おそらくご先祖さまが「人というのは内面が服装や表情に出るものだ。人の見かけは大事じゃぞ。しかし、ごく希に見かけ通りではない人がいる。だからこそ、人を見かけだけで判断してしまうのは危険なのだぞ」と教えてくれた言葉に違いない。
そんな考えに思い至り、この見るからに馬鹿親から生まれた、この見るからに馬鹿そうな息子が、これから本物の馬鹿になるのか、見かけによらない面白い奴になっていくのか、妙に気になり始めた。そして、もし、こいつが面白い奴になっていくとしたら、どんな外因があり、どんな内的な変化があるのだろうと、いろいろ考えてしまい、あやうく電車を乗り過ごしそうになった。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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