『her/世界でひとつの彼女』はどこに去って行くのか
スパイク・ジョーンズの『her/世界でひとつの彼女』をもう一度ビデオで見直してみた。映画館で見たときには、OSに恋をするというSF映画としてはある意味古くさいテーマをどう処理するのだろう、という部分に注目してしまい、それはそれで「うまいなあ」と見入ったのだった。
しかし、今回自宅で落ち着いてぼんやりと見直したのだけれど、だいぶイメージが変わっていた。一度見ていることもあって、OSに恋をするというテーマそのものは衆知のこととして見ることができた。
OSに恋することだって、OSに恋してしまった男を受け入れることだって、いまの僕たちにとってさほど難しいことではない。だって、SNSでやりとりしている相手のちょっとした返事の書き方一つで右往左往している人間が、OSに恋しないなんて誰が言い切れるだろう。
iPhoneのSiriがちょっと面白い答えを返してくれると、まるでそこに誰かいるような気がして笑ってしまったりする。たぶん、それがこの映画の世界の入り口なのだろう。
面白い答えを返してくれる、その頻度がもっと高くなって、しかも、それが自分の好みの答えになってきて、時には「あなただけよ」という特別な感じを醸し出してくれる。もう、それはスマホやSNSを便利に扱っていると思っている人間にとって、決して抗うことの出来ない甘美な魅力だろう。
以前、篠田正浩監督が近松門左衛門の『心中天網島』を映画化したのだが、僕はこれをテレビ放送で見た。この映画はとても面白く、そして、とても怖い。何が怖いのかと言えば、途中、筆で書かれた大きな文字や、黒子が登場することで登場人物たちを人形として扱う、という演出がなされていたからだ。
生身の人間として演技はしているのだが、それが人形として相対化される。そうすることで、最初は映画がまるで人形浄瑠璃のようになるというトリッキーな面白さが強調されるのである。ところが、衝撃はラストにやってきた。
情念の心中物語を人形として演じきった登場人物が心中を果たして死ぬ。そこで、いきなりここまでの人形としての演出が色濃く成果を収めるのだ。死んだ途端に、生身のはずの人間が、そこに置かれているだけの人形のように見える。そうすることで、この映画はふいに死を手に入れることができたのだと思う。
スパイク・ジョーンズもまた、いつかまたどこかで出会うかも知れない別れではなく、二度と会えない正真正銘の別離を唐突に突きつけることに成功したのである。
それでも、人は無機質に有機を求めて、ときにはネリリし、キルルし、ハララしたいのさ
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
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okosama
uematsuさん、こんばんは。
herは見ていないのですが、見たら主人公に共感するかもしれません。
「無機質に有機を求める」で「はやぶさ」を思いだしました。
帰還は6月でしたね。
はやぶさの人生?に思いをはせたり、生き様?がかっこいいと憧れたりしましたよ。いや、ほんまに。
uematsu Post author
okosamaさん
いやほんまに、はやぶさはカッコイイです。
しかも、はやぶさの帰還は当時あまり報道されず、
ライブではUstreamかなにかのネット中継しかなかった気がします。
だけど、やっぱり人は物語を求めているんだなあ、と。
あの後の、歓迎ぶりをみて思いましたです。