<第3回> 「共依存」でなく「共謀者」。
<YUKKEさんからカリーナへのメール>
丁寧な暮らしってわたしもよくわかりませんが、津幡夫妻の丁寧は、たぶんあえて不便を楽しみ、その不便にご自身なりの価値観を見出していることじゃないかな?と思います。
それが小洒落ていないところ、ヘタウマなチャーミングさが、等身大でみんなの共感を得るのかな。
インテリア雑誌で取り上げられる「丁寧な暮らし」は、オサレ雑貨のセレクトと、ナチュラル感を醸し出せばそれっぽい。いわゆる(リニューアル前の)クウネル風の。
津幡夫妻のユニークさは、共謀者だからかなぁ〜とも思ったのね。不便や手作りを確信的に二人で行って、(どんぐり植え付けとか)経済に優先されない価値観を二人で根底から楽しんでるでしょ?
わたしも長年連れ添った夫と街を歩いて、すれ違うちょっとユニークな人を観て、思わず夫と顔を見つめあって確信的にその面白さや意外性を共有してしまうことがあるんですけどね。こういう人生の共有性、それを発信したら共謀でしょ(^.^)
孫のはなこさんに、おかずを送ったり、誕生日プレゼントもプラスチックのオモチャは、買い与えるのはダメで、その代わりシルバニアハウス作ってしまう修一さん。二人の大事な暮らしの価値観を、共謀しながら楽しんでるでしょ。
今時のお孫さんが、たとえすごいおばあちゃんと、おじいちゃんでも素直に全部受け入れるわけではないと思うし、二人もそれを十分知ってるけど、確信的にクール宅急便で送っちゃうあたりもね。
紡いできた日々の暮らしの価値観を確信的に送る、残す。
そして共謀者のひとりがいなくなったとき、実にすっぱり、英子さんは、大きな木を切っちゃう。これは、相手にしがみついているんじゃないんでしょうね。「共依存」というと、寄り添うとか、しがみつきがあるけど、「共謀者」は違う。
たぶん、相手に何かを求めたり、望んだりする夫婦じゃなくて、同じ夢、同じ方向を見つめてきたからだろうなぁって。
わたしは観終わってね、夫婦は同じ夢、同じ方向を見ていると、きっとうまくいくんだろうなとも思いました。
このところ、編み物していて、そのSNSのコミュニティで巣立ったお子さんの部屋に入って嗚咽しちゃうっていう人の投稿に、たくさんの共感があったの。わたしも「空の酢シンドローム」は、理解できるけど、子どもに、こうもしがみつくのはやっぱりなぁ〜と。「夫と仲良くないから、この後どうしよう。子どもが巣立って編み物は一心不乱で癒しです」ということでしたけどね。これは子どもに依存だよね。
でも、英子さんの下手っぴな毛糸のソックスや、織物は、紡いで、編んで、誰かのお役に立てるようにって、みんな来る人にあげちゃうのよね。
わたしにとって八ヶ岳は、大草原の小さな家なのですよ。夫とそういう家や家庭を作るのが夢でしたからね。働き者の母さんと父さん。
図らずも、娘婿が開拓移民5世で、古い家族はみんなローラ一家のような暮らしなのですよ。お父さん、放牧で(牛舎じゃなくて)、子牛育ててビーフジャーキー作ってるし。家族のお揃いオーバーオールで娘を迎え入れてくれて。娘にオーバーオール贈ってくれて。
武田百合子の「富士日記」は八ヶ岳が出来てから知って読んで、あぁ、わたしも日記にしておこうって。それだけです。
だからかカリーナさんにこの夫婦の共依存って聞いてホォ〜っとおもいましたよ。
紡いできた家族の時間のことを、とても真っ当に大事な事に気がついたのは、昨年の子ども2人の巣立ち後。息子のお嫁ちゃんが、山小屋日記を読んで、わたしも大事に家族の時を重ねます。と言ってくれて。あぁ、それで十分に嬉しいって。
夫はたぶん来年で引退。そうしたら、二人で若い人たちが、新しい時を紡げるように、我が子も、よその子も、いっぱい応援していきたいと。
たぶん、津幡夫妻もそんなことを考えながら、セカンドライフを送ったんじゃないかな?はなこさん(津端夫妻のお孫さん)への贈り物、訪問者へのおもてなし。貯金ゼロっていうのもすごいし、畑があるから、旅行もほとんどしないのよね、このご夫妻。この辺りの矜恃もすごい。
リタイア後のお手本がないでしょ?気張ることなく、粛々と家族の時を紡げたらと、改めて思った映画でした。