<第4回> 夫婦は、好きですらなくてもいい。
<あきらさんからカリーナへのメール>
こんばんは。映画の感想をもとめてもらったことがうれしかったけど、思えば披露するような格別の感想ももてていないです。
まずはドキュメンタリーというのは作り手の思うように作るものだという前提があり。
監督が言っていたように「この世は生きるに値する」ということ。その「はげまし」と受け止めた気がする。「あ~、ワタシも好きに生きるぞ」みたいな。「からだと手を動かさなくっちゃね!」とか、「怖がらずに年を取っていこう!」とか。
これまでも、おふたりのことは雑誌などで拝見したことがあり、暮らしの細部がデザインされているところが楽しい。おふたりの畑や手作りの食べ物は憧れを誘うけど、ワタシは百姓をしたことが無いけれど、田舎のお百姓さんなら、みんなやっていることで、そこはことさらに言うなよ、みたいな気もちょっとある。
お金はなくても、山菜をとり、野菜を作り、おはぎやおすしや手作りの食べ物で人を喜ばせ、こんにゃく芋からこんにゃくを作り、干し柿も作り、日々からだを動かす。そんなことスローライフなんてことさら言わなくても、みんな田舎の人はやってるんだけどなぁって。それはそれとして、時代を生きてきた人への敬意。
ワタシは、ちゃんと時間は平等に流れて誰もが残念を残し、死んでいくんだということに安心感を感じます。生きていてほしい、続いていてほしいと、きれいを望んでもそうはいかない。(修一さんの)死に顔を長く映したことや、その諦念を共有することが作品として誠実さを感じさせました。
個人的には宗教のことを腑に落ちたいと思っているんだけど、夫妻のなかに宗教性みたいな文化がないのは少しさみしかった。でも、それはワタシの個人的な文化との比較に過ぎないです。あくまでも。
ことさら言わなくても津端さんだってそうだけど、「花びらは散っても花は散らない」。でもその先はワタシにはわかっていない。合理的な社会のなかにどう身を置くか。津端さんはあんなふうに。
あとね、「彼らに似た人や文化は見たことあるね」と友だちと話したの。ワタシの知ってるお寺のご住職夫婦が津端さんより少し年下かな、元は大学の哲学の先生と生徒で。今でもたぶん奥さまのことを「最高のガールフレンド」と言うと思うし、教団の進歩的な運動に傾いて損をしたりして時代を生きてきていらして。そのご夫妻には、津端さんと同じような匂いがします。
その友だちのお舅さんは元は、校長先生だったんだけど、まめに家族新聞を作っていらして、そのなかでお舅さんご自身の名前は「キタさん」だった。「(津端修一さんの)「修たん」って呼び方や筆まめなところに通じる匂いがあるね」と話しました。
「風が吹いて・・果物が実る」と自然のなかに暮らすこと、改めてモデルケースを目撃することに、「ああ、そうすればいいのか!」とみんな安堵するのかもね。わかっているようでわかっていないことだから。金子 みすゞに「木」という詩があって、「お花がちって実がうれて、その実が落ちて葉が落ちて、それから芽が出て花がさく」「そうして何べんまわったら、この木はご用がすむかしら」。 自然を感じることは、やはり深く深く、死と分かちがたいなぁ。
あ、あと、修一さんが亡くなったあとで奥さまが段ボールでみなさんに送る荷物を作っていらしたでしょ。箱の数がいっぱいあった。たぶんこれまでもいっぱい送っていらしたんだと思うんだけど。
友だちが「あれって承認欲求?」って言ったけど、ワタシはそうではなくて生きることへの「熱量の高い人」なんじゃ?と思った。それはいいとか悪いとかじゃなくて。何かに凝ったら原書でまで読んじゃうみたいな。ある意味、欲張り。だからこそ津端さんなんだと思った。真似することは出来なし、したいとも思っていないんだけど。
かっこよくても無様でも、生きてみせ、死んでみせされることに、やっぱり「はげまし」をもらうんだよなぁと思いました。
映画と離れて夫婦を考えるということになると、これまたワタシには複雑。どんなふうでもいいのだし。ワタシ自身については、ここしばらくのウチのダンナはもうワタシに幼児か犬のように懐いてます。もともと大いに不自由かつ一方で有能な人なので共依存的なことを望まれていたのだけれど、ワタシとしてはそうもいかず。
とはいえ依存されつつ攻撃もされ、かつ庇護もされているので、理屈抜きにダンナのことはもう一切合切引き受けますとも!と思っているんです。
どういうのが好きなことになるのかわからないけど、好きですらなくてもいいと思います。夫婦として積み重ねてきた何かしらの親密さは、それはそれとしていけばいい。利害もふくめ解放されたいと思わないなら夫婦のままでいればいい。ただそれだけでいいのじゃないかなぁと思っています。
お花が散って
実が熟れて、その実が落ちて
葉が落ちて、それから芽が出て
花が咲く。そうして何べん
まわったら、
この木は御用が
すむかしら。金子 みすゞ 「木」