ページの上の一日
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おくればせながら、明けまして今年もよろしくお願いします!
コロナで終わり、コロナで明けた年末年始。
毎年、できるかぎりはオットの義母の家でクリスマスを過ごすことにしているこの10年だが、ご存知の通りイギリスは、日本以上に大変なことになっていた。
義母の実家のある島は、離島という地理的条件からなのか(といってもフェリーで30分)、ありがたいことにイギリス国内で最も感染者の少ない地域となっている。のだが、いかんせん島なので、いったん蔓延するとやっかいかつ医療体制が心もとない。そして島民は、罹ったらさいご重症化まっしぐらの老人だらけだ。そんなわけで、感染者や死者の数といった実際をはるか飛び越えて、島は厳戒態勢である。
そんな中、ここ数年足腰が弱って家から一歩も出ず、小さな家in小さな島のミクロ・ライフを送っている義母が、あろうことかまさかの感染症で、緊急入院とあいなった。
クリスマスの数日前の出来事である。なぜ人は(というか義母は)、クリスマスになると病気になるのであろうか。
ある日、数日おきにオットがかけている電話で、「何かウィルスかなんかにやられたっぽい」と、微熱や関節痛、舌が白っぽいなどの症状を訴えて、みるみるうちに症状が悪化した。
「大丈夫、大げさにしないで!」というのが口癖の義母に、オットが「病院に電話しろ!」と再三せっついてやっと連絡させ、その症状から当然コロナ疑惑→「検査キットを自宅に郵送」→「自分で検査して返送」→「結果を見てから病院で診察」というまだるっこしい経過をたどっている間に、朝、呼吸困難でほとんど意識不明になっているところを通いのヘルパーさんに発見されて救急搬送となったのである。泡吹いてたらしい。
ザ・肺炎!
ヘルパーさんがいなかったら、もしかして彼女はいまごろこの世にいなかったかも…というくらいの酸素レベルだったそうだ。
義母よ、大げさにしないでって…あんた死ぬとこだよ!そしてお医者さんもだ。コロナ厳戒態勢もそりゃあわかるけど、そんなことしてるあいだに老人は死ぬ。
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病院での2度の検査の結果、コロナは陰性。
ほっとしたものの、しかし小さな家の中だけで暮らしていて感染とはいったいぜんたい…と思わずその菌(だかウィルスだか)の生命力に驚嘆してしまった私たちであった。とはいえ、当然家には買い物も届くし、ヘルパーさんや近所の友だちも様子を見に来てくれる。やはり人や物が移動するということは、知らないうちに、さまざまな微生物を運んでいるということなのだ。義母は食も細いし、抵抗力がないので、ウィルスや菌などの前になすすべがない。
これがコロナだったら…という想像と、コロナでなくても、あらゆるささいな要因が、義母を簡単に殺しかねないという事実の両方に、ゾッとする。
その後義母は順調に回復し、現在は自宅での生活に戻っている。昨日は、久しぶりに料理をした、ここ数日ものがおいしいと思えるようになった、と言っていた。ひと安心だ。
でも、これから、義母の暮らしをどうしていくか、私たちはどうすべきか、考えなくてはいけない岐路にいよいよ立たされている。
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そしてこちらがわでは、オットと過ごす久しぶりの日本の正月となった。
毎年私の実家では、元旦の夜に父方の叔母や従姉弟一家もあわせて20人くらいも集まって、一緒にごはんを食べるのだが、今年は中止。
昼過ぎにちょっとあいさつくらいのつもりで出かけたら、父が家から顔を出して、「家の中で密になるのもあれだから、一緒に下の神社まで散歩に行こう」と言う。
父、母、近くに住む姉、姪、オットと私の6人で連れ立って出かけた。多摩川沿いの神社でおまいりをして、近くの公園に行き、午後の日の名残を探して、ポットに淹れてきたコーヒーをのんだ。母は、なんかかさばるもの下げてるなあと思っていたが、肩掛けバッグの中に「六花亭」の詰め合わせを入れてきていて、めいめいに好きなのを選んで食べた。
「こういうのもいいねえ」なんて言いあって面白かったのだが、ようするにすごくコロナに気を付けているのだ。
東京都の感染者2000人越え、などというショッキングなニュースに「やばいよね…」なんて言いながら、自分がずいぶん慣れてしまって、危機意識が薄いんだなあと気付かされた。
実家のあるところは、都内といえどもまだ感染者のかなり少ない多摩の奥のほうで、こうした離れているところこそ、さまざまなニュースばかりが飛び込んできて、不安をかき立てられている、そんなふうに言うことも、もしかしたら可能なのかもしれないが、本当のところ、今の感染状況が、ピークなのか、まだ途上にすぎないのか、それは誰にもわからない。このコロナ騒ぎがいつか終わるとして、私たちは今、後に作られる年表の、どのあたりにいるのだろう。何をするのが、一番正しいのだろう。
疫病や災害や戦争の歴史を後からふりかえったときに、「どうしてこのときこんなに悠長にしていられたのだろう」「なんであのとき止められなかったんだろう」「ひどくなるのはわかりきっていたのに」とつい思ってしまうけれど、今がその「とき」なのかもしれない。だとしたら私たちは、後の世からみたら、ずいぶんのんきで愚かにみえるにちがいない。
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お茶ものんだし、さあ帰ろうかとなって、公園の前で記念撮影をした。「マスクどうする?今だけ外す?」「いや、そのままでいいよ。後になって、ああ、あの年だよね、ってわかるじゃん」という会話をして、みんなでマスクをしたまま写真におさまった。
この日の写真と会話を、数年後どんなふうに思い返すだろうか。そう考えると、何か胸にひゃっとしたものがかかる気持ち。それでも、今日も今日とて、ふつうに混んだ電車に乗って、仕事に行っている。緊急事態宣言どこいった。
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by はらぷ
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※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。
※はらぷさんが、お祖父さんの作ったものをアップするTwitterのアカウントはこちら。
Jane
後の世の人になって、はらぷさんたちが公園でコーヒーを飲んでいるフィルムを観ているような気がしました(なぜか白黒)。確かに、昔のことを思い出すと、なんて呑気だったんだろうという気がしますね。
はらぷ Post author
Janeさん
こんにちは!
あのときの不思議でちょっと滑稽な時間を、あとからどんなふうに思い出すのかな、
そのとき自分は何をしているかな、とわたしも想像をめぐらせてしまいました。
そんなふうに、時間の流れの中に自らを置いて、ためつすがめつしてしまうのが、また人間って面白いなあと思います。
一年後どころから、来月どうなってるのか…という感じの2021年の年明け。
いろいろ見てやろう!という気持ちです。
本年も、どうぞどうぞよろしくお願いいたします!