【月刊★切実本屋】VOL.70 架空だと思っていた生物と正のスパイラルと
新刊が出るたびに取り上げている気がするが、今回も津村記久子の本である。タイトルは『水車小屋のネネ』。
さあ、水車小屋とは?ネネとは?!
(煽りが下手過ぎる)
娘の短大の入学金を交際中の男に渡してしまう母と、小学生の妹にパワハラ行為をするその交際中の男、双方に危機感を持った理佐は、家から離れた山あいの町のそば屋での住み込みの仕事を見つけ、妹の律と共に家を出る。仕事の内容には「鳥の世話じゃっかん」という謎の表記があるが、その鳥とは、ヨウムのネネで、水車の動力で石臼を動かし自家製そば粉を挽いているそのそば屋にとってネネは、そばの実補給の絶妙なタイミングを報せてくれる大事な働き手なのだった。
予備知識ゼロで読みはじめ、薄紙が剥がれていくように明かされていく大小さまざまな情報を咀嚼しながら、1981年から2021年までの10年刻みでの40年間を堪能した身としては、こうした導入部の紹介だけでも蛇の足のような気がする。でもこの、特異なのに必然的で奇跡とも思える物語の魅力を、内容の一部を語ることなしにはわずかでも伝える術は浮かばないので書いてしまうしかない。
理不尽でネグレクトともいえる親を持つ姉妹だが、そこから容易に想像する言動をこのふたりはほとんどとらない。18歳である姉の理佐は、貧しい暮らしのため日々倹約に努め必要な家財道具をひとつずつ増やす中、時には親に怒りを感じ恨めしく思うし、10歳年下の律は、学校で家庭環境を指摘されたり、その後の進路の選択肢も少なかったりするのだが、不幸とかけなげという世間の予定調和ポジションの外側にいる印象だし、たぶん自覚もない。
それは、「理佐にとって律は、子供というよりも、自分が世話をしなければならない背丈が低くてたまに突拍子もないことを知っている変な人」(P89)という表記に集約されている気がする。新しい土地で、自分たちのやれることをまじめにやっていくことこそが、生きていくための優先順位の最上位だということを、ふたりは若くてもそれまでの生活で学んで知っているのだ。一見、低体温っぽい筆致をとおしてそれがしっかり伝わってくる。このあたりは津村記久子の真骨頂だ。
ふたりの暮らしにとって、理佐が偶然選んだ山あいの町の、そば屋と水車小屋を中心とした地域の人や、学校の担任、妹の同級生やその親などの後押しは大きい。当初こそ、「ハタチ前の姉と小3の妹が現れて、ふたりで生きていこうとしていたら、そりゃあそうだよね」という反応をする彼らだが、ふたりを知るにつれ、認め、迎え入れる。迎え入れるというより、双方向に溶け込み合う感じ。援助やおおっぴらな支援ではないのが肝だ。そしてその核には常にネネがいる。
ネネはヨウムという種類の鳥だ。実は途中まで、わたしはヨウムというのは架空の鳥だと思っていた。50年‥環境が整っていれば百年近く生きることも、知能が非常に高いことも、この小説のために作者がつくった「設定」で、ヨウムという名も、オウムをもじった造語かと思っていた。でも、ヨウムは実際にいて、それを知ってからは、この鳥の存在と性質が前提にあってこのような小説が書かれたのかもしれないと邪推(邪じゃないけど)している。
どんなことがあっても、遮眼帯装着状態にならず、どこか抜けというか、ユーモアを持って生きていきたいものだよなあとずっと思ってきた。でもこの小説を読んで、自分は根本的なところで勘違いしていたのかもしれないと思った。
シリアスな状況での最優先事項は、ユーモアを忘れないことより、日常を誠実に善良にやっていくことなのかもしれない。なんかこれ、一周まわってスタート地点に戻ったみたいだけれど、あらためてそう思う。もちろん、それは難しい。でも、余裕のなさから目を逸らし「余裕もユーモアも忘れていませんよ、わたし」とお気楽ぶったテイをとることより、日々のルーティンのあれこれを流さず、なんなら、ふざけて見えるくらいマジにやること、「あの人、こんな状況なのにあんな些細なことをバカみたいに真剣に考察してる」とか、「この期に及んで逡巡してるのがそれかいっ!?」と思われるくらいな方にこそ、強靭な本物のユーモアが宿るのかもしれないとこの物語を読んで思ったりしている。
最近の津村さんの書くものには、市井の、どちらかといえばうまく人生が回っていない人へのエールを強く感じる。昔からそうだったけれど、精力的に映る執筆活動の源が、より明確に感じられる。でも押しつけがましさや無理強い感はない。主軸より、むしろ細部にリアリティがあるのがその理由のひとつのような気がする。主軸あってこその細部より、細部の集積で浮かび上がる主軸を感じることの方がわたしは好きだ。
読んでいる最中、
①あーこの小説好きだ!
②ネネ、サイコー!
③そば食べたい!
と幾度も思った。まるで正のスパイラルにハマったように。読み終わってそのスパイラルが停止したのが寂しい。なので、近々、もう一度読もうと思う。
by月亭つまみ
Jane
その本は読んだことがありませんし、あらすじとは関係ないですが、「家から離れた山あいの町のそば屋での住み込みの仕事」、いいな~と思いました。待遇とか将来性とか適性とか職場の人間関係とか色々考えずに(考えたのかもしれませんが)、そこへポンと飛び込む若さも度胸も羨ましいし、実際そば屋の仕事がどういうものかも知らないけど、イメージ的に好き。だいぶ前に、おみやげ物売り場で働くのいいな~と書いていたのはコメットさんでしたでしょうか、それに通じるかも。
しかも、「迎え入れられる」って。カリーナさんが当たらなかったと言ってらした某星占いの方の占いで、今年の私のテーマは「居場所」を見つけることで、5月には見つかるはずだったんだけど….。ああ羨ましい。架空の話だけど。
つまみ Post author
Janeさん、こんにちは。
仕事に就くことの原点が描かれているみたいで、幾度も新鮮な気持ちになった本でした。
働く方も、雇う側も、いつのまにか慎重というより臆病になっているんですかね。
こう言っちゃなんですが、若いときの自分は、やるだけやってみて、ダメなら辞めりゃあいいやと、新しい世界に飛び込むことがわりと平気で、その分、失敗もしましたが、今では全部ネタです。
居場所って、わりと偶然の産物のようにも思います。
居心地が悪ければ離れればいいやと、ずっと思って暮らしてきて、失敗もしましたが‥以下同文です!?