書くことの意味と隠し事の意味
書く仕事をしているのだけれど、と書こうとして、キーボードを打って変換したら、「隠し事をしているのだけれど」と変換されて、朝っぱらから笑ってしまう。
ここ数日の憂鬱な気持ちがほんの小さな変換ミスで諫められてしまうことに驚いてしまう。そして、ああ、だから書くということには意味があるのだな、と思ってしまう。何かを書くことで、何かがはっきりしたり、何かが曖昧になったりする。そうすることで、狭くなってしまいがちな気持ちを揺すぶって、本来あるべき多少の遊びのある箱の中に納められるのかもしれない。そんな気持ちになるだけなのかもしれないけれど、気持ちになるだけで充分だ。
映画学校の学生の作品をまとめてみる機会があったのだけれど、そのほとんどは映画を撮ることで世界を切り取り、それ以外のものを見なくなってしまうようなそんな作業をしているように思えてしまう。自由なはずの実験映像でさえ、不自由に身を沈めて身体能力の限界を試す加圧トレーニングのようだ。
せっかくだから、隠し事について。
子どものころ、友だちと喧嘩をして大泣きをする。夕方、電鉄会社に勤めていた父親が夜勤明けで早めに帰宅すると、僕を見るなり「今日、友だちと喧嘩したやろ」と話しかける。なぜ、この人は、僕が友だちと喧嘩したことをしっているのだろうと、怪訝な顔をしていると、「ちゃんと見えてあるんや」と笑い、「隠しててもばれるんやから」と付け加えて、テレビをつけるのだった。
たしか、僕が小学校の一年生か二年生の頃のことだ。僕は、友だちと喧嘩したことがばれてしまうなら、これから先、どんな嘘も隠し事もばれるのではないかと怖くなり、それ以前に食卓の上に置きっぱなしになっていた小銭を使い込んだことや、向かいの家に花火を打ち込んだことや、テストで20点とったことなどを全部懺悔したのだった。
父親は次々に息子の口から出てくる告白に、最初は笑っていたが、途中で「もうええ。全部わかってるからもうええ」と言って途中で懺悔を打ち切った。僕は、全部言わなければ父親にではなく、神様に許してもらえない気がしたのだが、目の前にいる父親に制せられてはそれ以上話すこともできず黙ってしまうのだった。
以来、僕はあまり隠し事をしない子どもになったのだが、逆に「隠したってばれる」という開き直りが、人としての深みをなくさせたのではないのか、と二十歳前後に思い直し、わざと周囲の人間に話をせずにたわいのない行動をして、それをあえて言わず隠し事にする、という行動にでたこともあった。
と書いてきて、ふと思ったのだけれど、学生の映画をはじめとする「あまり面白くない映画」って隠し事がほとんどない。ストーリーは開けっぴろげで、ステレオタイプだし、セリフはなんでもかんでもちゃんと説明してくれるし、実験映像も「これ、おまえわかるのか?」というような悪巧みも透けて見えることがない。
じゃあ、隠し事があればいいのか、ということになるけれど、う~ん、どうなんだろう。いや、きっとあったほうがいいんじゃないだろうか。だって、僕もいま……。とここで話してしまうと、隠し事じゃなくなってしまうので、今日はこの辺で。
植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、オフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京神楽坂で暮らしてます。
★これまでの植松さんの記事は、こちらからどうぞ。
つまみ
植松さん、おはよーございます。
意味深でおもわせぶりなラストですねえ(^-^)
そういえば、隠し事とおもわせぶりってちょっと似てますよね。
サヴァラン
おはようございます。
パソコンって
ときーどきいい仕事をしてくれますね。ツンデレ顔で。
わたしは憂鬱なとき このサイトを見にいきます。
http://www.library-archives.pref.fukui.jp/?page_id=368
子どもの頃、大人の映画を観ると「なんでここで終わる???」と思いましたが
今は「頼む。ここでもう終わってくれ」と思います。
uematsu Post author
つまみさん
いえいえ、思わせぶりなことは、本当は何もないんですけども(笑)
思わせぶりな女性には、ころっとだまされます。
uematsu Post author
サヴァランさん
パソコンの誤変換は、ほんと面白いです。
そこから、一本コピーを書いたことがあります。
大人の映画。
子供のころから「水戸黄門」よりも「日曜東芝劇場」に惹かれました。