介護には終わりがあります。
私、今年の4月、ゴンゴンを看取りました。
ゴンゴンというのは、中国語で旦那のお父さんのことです。享年96歳。大往生でした。きっとゴンゴンの一生は波乱万丈だったに違いないと思います。中国と台湾と日本の歴史をそのまま生き抜いた人ですから。
さて、ゴンゴンの最期は、病室のベッドでもなく、自宅のベッドでもなく、なんと、病院でした。
え? 病室じゃないのに病院って?
そうなんです。病室ではないけど病院で最期を迎えました。ゴンゴン、去年の秋に不注意で首の骨を折ってしまいました。高齢なので手術することもできず、頭と首を固定する装置をつけて、回復を待ちました。定期検診で「もう固定してる器具を取っても大丈夫」と聞いたその直後かな、ゴンゴンは旅立ちました。もう「眠るように」というのがぴったりでした。
介護にはサポートが必要です。一人でなんて無理です。
私たち家族を助けてくれたのは、お医者さんとインドネシア人の看護のお手伝いさんです。台湾では、外国人の看護専門のお手伝いさんに住み込みで来てもらって、サポートしてもらうのがけっこう当たり前です。こういうサポートのおかげで、家族の負担はかなり軽減します。
しかしですねこういうサポートがあるからといって、家族がハッピーになれるとは言い切れんのです。どうしてもつきまとうのですよ。
「いつまで続くんだろう」って気持ち。
でもね、みなさん、安心してください。悲しいけれど、介護には必ず終わりがきます。人間は125歳くらいまで生きられるという説もあるそうですが、そこまで生きたという実例は、あまり、いや、ほとんど聞きません。
私は、ゴンゴンを嫌いになったこともあります。家族を恨んだことも多々あります。「介護の言葉」にあるように、私も黒い感情を持ち続けていました。黒い感情は、当然の感情だと思います。黒い感情が湧かないほうが不思議。
私は不謹慎かつ親不孝なことを何度も何度も思い、何度も何度も友達にぐちりました。でも、これがなかったら、私はトチ狂ってた。間違いなく。今、悶々としている方は、どこか家じゃないところで、友達と、ランチでもしながら、お茶しながらでも、ぶちまけちまえ!そして喫茶店のトイレに行って、トイレの水に流してしまえ!解決できることは少ないけど、心は救われる。
これから何回かに渡って、私の介護記録をこちらで紹介したいと思います。台湾と日本は制度が違うから、参考にならないことが多いかも・・・家庭ごとに問題は違うから・・・と思ったりもしたんですが、誰かの小さなヒントになれるかもしれないと思って書くことにしました。
そして、ゴンゴンを見送って、やっと考え始めた自分の終活についてもこの場を借りて吐露していきたいと思います。
それでは、下次見!